No.243 葛飾赤十字産院 三石知左子 院長 前編:葛飾区の周産期医療を支える

インタビュー

葛飾赤十字産院の院長、三石知左子先生は、現在、赤十字病院で唯一の女性院長とのことです。

その三石先生のご経歴や女性医師の働き方に関するお考えなどを伺いました。

葛飾の出産の4分の1を扱う周産期センター

中:今回は葛飾赤十字産院病院長の三石知左子先生にお話を伺います。

先生どうぞよろしくお願いします。

まず貴院の特徴を挙げていただけますか。

三石:当院は地域周産期母子医療センターの指定を受けており、

正常の妊婦さんからハイリスクの妊婦さんまで、広くお産を扱っています。

地域の方々に愛され、葛飾区内の赤ちゃんの4人に1人は当院で生まれています。

ここ葛飾区は下町で、東京でありながら「寅さん」に代表されるような昔の面影もあります。

人情が温かく家賃や物価も安いので、地方出身の若い看護師も安心して暮らせる場所です。

中:貴院には地方出身の看護師が多くいらっしゃるのでしょうか。

三石:新人看護スタッフが毎年15〜16人、入職しますが、東京出身者は少ないです。

北海道や九州からも応募してくださり、面接で「将来はどうするの?」と尋ねますと

「ここでキャリアを積んだら地元に帰りたい」とか「臨床を理解した上で、大学で勉強したい」

という方が増えています。

女性看護師のキャリアアップに必要なこと

中:先生ご自身も北海道のご出身と伺いました。

三石:札幌で生まれて大学までずっと札幌です。

札幌医科大学卒業後に東京に移り、東京女子医大の小児科で研修を受けました。

当時、医学部を出るとそのまま母校の医局に入ることが多かったのですが、

私は東京での生活で刺激を受けてみたく、「2年間の初期研修を受けたら戻る」と親に説明し上京しました。

ところがその2年の間に結婚相手を見つけてしまったもので、そのまま東京生活です。

中:小児科医を目指されたのには何か理由がおありでしょうか。

三石:小さい頃は病弱でしばしば母親に連れられかかりつけの小児科を受診し、

優しい先生に診ていただきました。

今では許されないでしょうが「お菓子食べたい?」と尋ねられて、

高級そうなチョコレートを貰ったりしたものです。

小児科医という存在は私にとって、身近で憧れでした。

中:子どもの頃からの憧れの職業に就かれたのですね。

ご結婚が早かったということですが、医師を続けながらの出産や育児は非常に大変だと思います。

結婚後しばらく、お仕事は中断されたのでしょうか。

三石:いえ、当時は育児休業という制度はなく、3カ月ほどの産休だけでした。

保育園も十分にない時代でしたから、子どもをどこに預けるか、いつも苦労していました。

中:女性医療従事者の出産・育児と仕事の両立は、今も大きな課題として残っていますね。

圧倒的に女性が多い看護スタッフではより大きな問題かもしれません。

三石:当院でも以前は結婚せずにいる女性看護師が多く心配でしたが、近年はだいぶ既婚者が増えました。

今では入職後2〜3年でどんどん苗字が変わってしまい、

誰が何という名前だったかわからなくなるくらいです。

これは恐らく、赤十字全体の育児支援が整ってきたためだと思います。

希望があれば3年の育休を取得できます。

私が当院に着任した約20年前は、子育てしながら働いている看護スタッフなど1人2人くらいでした。

今はもう30人以上いて、産休・育休中が20人ほどいます。

中:そんなにいらっしゃいますか。

驚きました。

三石:最近はスタッフに対し「これは育児支援ではなくて、あなたたちのキャリア支援だ」と言っています。

中:なるほど。

そのような言葉で表現すると、職員の皆さんの意識もまた変わりますね。

三石:育児支援というと、みんなで子育てを支えあうことが目的のように聞こえますが、

スタッフにとって病院は職場であって、別に子育てが目的の場所ではありませんから。

と言っても、結局は育児支援をしているのですけれどね。

赤十字病院唯一の女性院長

中:話題を先生が女子医大で研修を受けられ結婚された頃に戻しまして、

その後どのようなご経歴で現在の院長に就任されたのかお聞かせください。

三石:結婚後、まだ妊娠する前のことですが、大学から出向で福島の病院に行きますと、

そこで地域のお産を一手に引き受けていらっしゃる産科の先生に出会いました。

正常分娩はもちろん高度な技術が必要なハイリスク分娩や、はては保育器の赤ちゃんも一人で診て、

さらに産後の母体管理にと、孤軍奮闘なさっていました。

私も新生児医療の研修を終えた後でしたので懸命にお手伝いしたものです。

私が東京に戻った後、その先生も東京の大学にお勤めされ、

やがてその大学を辞めて当院の院長に就任されました。

ちょうど私が40を過ぎて、大学に残り研究を続けるのか、どこかの病院に勤務し臨床一本に絞るのか、

それとも開業するかと、道筋を考えていた時のことです。

その先生から「病院の小児科を立て直したいから一緒に働いてくれないか」とお声掛けていただきました。

こちらにはNICUもあり、私自身の主要な研究テーマである未熟児などのハイリスク児の発育発達の仕事を

続けることができ、何より、とても気心の知れた先生と一緒に仕事ができるという、嬉しいお話でした。

中:それが貴院でのご勤務のスタートですね。

三石:私には「偉くなりたい」という気持ちは全くなく、歳相応のポストで構わなかったのですが、

思いもかけず副院長という破格の役職を用意してくださっていました。

不安続きだったものの、多くの人に助けてもらいながら、どうにか勤めていました。

そして前院長が60歳になられた時、赤十字病院の定年にはまだ10年を残しているのに

「僕、やりたいことが別にあるから辞める。あとはよろしく」とおっしゃり退任されてしまったのです。

当然ながら、院長と副院長では経営上の責任の重さが全く異なります。

私は「自分には無理だから先生と一緒に辞めさせて」と言ったのですが

「あなたを副院長にしたのは僕の後任とするためでした。院長になると見える世界が大きく変わるから

絶対やるべき。赤十字の女性院長は他にいないのだから、きっと面白いよ」と説得され、覚悟を決めました。

中:赤十字全体で女性の院長は先生お一人なのですか。

三石:赤十字初ではなく2番目の女性院長ですが、現在全国92の赤十字病院で女性は私だけです。

私が2006年に院長に就いてもう13年たちますが、未だに新しい女性院長が登場しません。

やはり女性はキャリアの継続が困難なことが背景にあるようです。

中:先ほどのお話につながりますね。

三石:女性がどうやってキャリアを継続していけば良いのか、非常に大きなテーマです。

実際問題として、産科の若いドクターの3分の2、小児科でも半数は既に女性です。

女性医師が働きやすい環境を整えることは喫緊の課題と言えます。

中:いま正に医師の働き方改革が行われようとしていますが、先生のように既に院長として

活躍されている女性は、オピニオンリーダーとしても大きな役割があるのではないでしょうか。

三石:全国の女性の病院長の中で、いろいろ声を上げられている方はいらっしゃいます。

私は産科と小児科という自分の身の丈に合った病院で院長を務めておりますが、これから先、

総合病院できちっとマネジメントできるような女性医師が多く出てきていただければ嬉しいなと思います。

後編に続く

Interview with Nakada & Carlos