第10回目のインタビューは、東京医科歯科大学医学部附属病院の川﨑つま子看護部長です。
大学病院の看護部長に就任されて間もなく3年。
「大学病院の看護部長」と聞いて、ずっと大学病院でキャリアを重ねていらしたのかと思っていましたが、川﨑看護部長は初めての大学病院勤務が看護部長になってからだといいます。
そこに至るまでのキャリア・子育てのご経験はとても興味深いものでした。
vol.1では看護学校に進学することになった背景、メンターとの出会い等について伺っています。
女優と看護学生と
看護師になることは子供の頃から決めていたのですか?
川﨑:看護師になりたいと思っていたわけではなかったんです。
ずっと演劇をやっていて劇団に入りたくて上京したいという思いがあったんです。
私は岩手県沿岸部の出身なのですが、そんなことを言ったところで両親から許可がおりるはずがありません。
たまたま叔母が看護師ということもあって、女性がキャリアを積むことに価値を置いている両親だったので「看護師になるから」と言って上京しました。
都内の学校だと両親も心配するので、東京に近い千葉や神奈川、埼玉県を見渡して、最終的に埼玉県和光市にある国立の看護学校に進学して寮生活が始まりました。
劇団ではどのような活動をされたのですか?
川﨑:素人で作っている「劇団夢」という劇団に入りました。
喜劇的な脚本を書いている先生で、新聞記事に募集が出ていて行ってみたいと思ったのがきっかけです。
当時のメンバーには社長秘書、区役所勤務、栄養士などいろんな人がいて楽しかったですよ。
本職があって演劇を楽しんでいる、高校の演劇部の延長線上のような感じですね。
プロになるための養成所に入っていたら人生違ったかもしれません。だから看護学校の勉強もがんばれたとも言えますけどね。
看護学校のカリキュラムはけっこう忙しいと思いますが両立なさったのですか?
川﨑:劇団の稽古は夏休みや冬休み、土曜日を充てていました。
長期休み中の稽古の時は、寮が閉鎖されるので、住み込みでできるアルバイトを担任の先生が斡旋して下さったんです。
先生は劇団も楽しくやっていることを理解してくれていました。
今も恩師として慕っていますが、その先生に出会ってなかったら人生変わっていたかなと思います。
就職先を選ぶ際に「看護のおもしろさはこれからだ」と言われて、先生が言うんだから間違いないと、勧められた国立国際医療研究センターに就職しました。
入職したばかりの頃は映画と演劇にお金を使う日々でしたね。でもそれが甘かったことがすぐにわかるのですが。
メンターの言葉に支えられた新人時代
就職後は何科の病棟に配属されたのですか?
川﨑:脳外科と神経内科の混合病棟で3年3ヶ月勤務しました。
学生の時に、脳外科の患者さんとの関わりで失敗経験があったので、自分の意思や欲求を伝えられない人がいるところで働きたいと思ったんです。
学生時代の宿題を持って就職したということですね。
川﨑:そうですね。ただしばらくして適応障害になってしまい、3ヶ月で14キロ体重減少しました。
ただ、辞めたいとは思っていなくて、この先に恩師の先生が言っている看護の奥深さがあるんだろうと思って頑張っていたらその通りでしたね。
それ以来辞めたいと思ったことは1度もないですよ。
今若い子たちが続かなくなる時に、もう一つ踏ん張るための何か、私にとっては先生とのことでしたけれども、看護師になろうと思った気持ちをもう一度想起させたり、ここを耐えようと伴走してくれたりする人がいたら辞めずに、もしくは先にあるものに到達できるのではないかと思うんです。
私に比べたらみんな強い動機づけをもって入ってくると思うので、何か信じて取り組めたらいいなと思いますね。
そういう支えになる人や気持ち、体験は大切ですね。
川﨑:適応障害になって、こんな浮ついた状態じゃダメだと感じ取ったので、演劇はストップして、逆にそこからは仕事一筋になりましたね。
看護師として働くにあたって「動機が十分じゃない」などと言う人がいますが、私は人間どこでスイッチが入るかわからないと思っているので、最初からしっかりした動機がなくてもいいんじゃないかと思います。
その後、ICN(国際看護師協会)の大会がロサンゼルスであって、それに参加することになりそれを区切りに退職しました。
ICNに参加して世界の看護を知る
ICNに参加されたというのはどのようなきっかけですか?
川﨑:看護学校3年生の時に東京がホスト国で、日本武道館でICNが開催されたんです。
この年から学生大会も始まることになり、各学校から1人参加できるということで、私は埼玉県からの派遣として参加することになりました。
学生大会は代々木体育館で行われました。
こんなに世界中の看護学生が議論したり熱く語ったりできるのを見て、看護というのは世界につながっているんだということがわかりましたね。
学生で運営するのも楽しくて。通訳も学生同士でやったのですが、語学に堪能な人もいたので助け合ってやり遂げました。とっても楽しい経験でしたね。
学生でそんな機会に恵まれるのは珍しいですね。どういう経緯で参加することに?
川﨑:学校から1名の枠があるということで推薦してもらったんです。
大会は4年に1回で、4年後のロサンゼルス大会に行きたいなと思いました。
今でも時々参加していますよ。今年はスペイン、その前がオーストラリア。語学はそんなに得意ではありませんが、日本人の参加者が非常に多くて同時通訳を準備してくれるお陰で、言葉のハードルはそんなに高くないんです。
学生のときから世界を見ていたわけですね。
川﨑:幸運ですよね。早い時期から世界を見たり知ったりということは大切だと思いますね。
学生で海外の病院視察ということは聞くが、ICNというのは珍しいですね。そういうきっかけで参加することもあるんですね。
東京医科歯科大学医学部附属病院に関する記事はコチラから
・インタビュー#10川﨑つま子様(東京医科歯科大学医学部附属病院様)vol.2
・インタビュー#10川﨑つま子様(東京医科歯科大学医学部附属病院様)vol.3
・インタビュー#10川﨑つま子様(東京医科歯科大学医学部附属病院様)vol.4
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