No. 154 佐藤千春様(村山医療センター)前編「行ないたい看護を明確にする」

No. 154 佐藤千春様(村山医療センター)前編「行ないたい看護を明確にする」

  • 2018年6月11日
  • インタビュー
No. 154 佐藤千春様(村山医療センター)前編「行ないたい看護を明確にする」
No. 154 佐藤千春様(村山医療センター)前編「行ないたい看護を明確にする」

今回は村山医療センターの看護部長、佐藤千春様にインタビューをさせて頂きました。

佐藤看護部長の手腕と魅力に迫ります。

 

自分で判断する魅力

 

看護師になったきっかけを教えてください。

 

佐藤:3歳頃から小児喘息があり、夜中発作を起こす度に病院を受診していました。

そこで看護師に優しくされたことと、受診し注射を打つとすぐに症状が無くなったので、

子供ながらに「病院はすごい」と思ったことから、医療従事者になりたいとの思いがありました。

 

その中でも薬で症状が改善されたので、薬剤師も考えました。

しかし、苦しんでいるときに看護師が優しく手を添えてくれたことがとても嬉しく、

こういう人になりたいと思い看護師を目指しました。

 

 

その後の経緯を教えてください。

 

佐藤:看護学校を卒業し、就職で産婦人科病棟に看護師として配属されました。

看護学校時代は助産師免許を取得するつもりはありませんでした。

助産師と一緒に働き、助産師が分娩介助を行う姿を間近で見ているうちに、

分娩介助は助産師の独占業務で、医師の指示を受けなくても自分の判断でできるところにとても魅力を感じ、

私も行いたいと思うようになりました。

そのため、看護師を2年経験した後、助産師学校に行きました。

 

助産師学校でのエピソードを教えてください。

 

佐藤:当時、正常分娩を必ず10例経験しなくてはいけませんでした。

その中で2人ほど、妊娠初期から分娩、新生児訪問までと、長期で受け持たせて頂きました。

お互い初めての経験だったこともあり、とても印象深く、

今でも「あの時取り上げて頂いた息子が結婚しました」などと年賀状のやり取りをしています。

 

様々な診療科を経験することの大事さ

 

助産師学校を卒業されてからの経緯をお聞かせください。

 

佐藤:看護学校を卒業し、産婦人科で2年働いた後、助産師学校で1年間学びました。

その後同病院に戻り、助産師として6年ほど勤務しました。

その後、救命救急センターへの異動のお話をいただき、産婦人科の経験しかなかったので不安はありましたが、

挑戦してみたいと思い、救命救急センターに配置換えになりました。

本当に産婦人科の看護しか実践していないので、当時の新人看護師と共に、

男性患者さんの清拭から教えてもらった事がとても印象に残っています。

5年勤務し、再度産婦人科に戻り、4年ほど勤務しました。

 

 

救命救急センターで産科の経験は生かされましたか。

 

佐藤:当時、救命救急センターの中に救命救急医はおらず、外傷患者さんが急患で運ばれると、

脳外科医が脳の異常を確認したり、整形外科医が骨折の対応をしたりなど、専門医が当直をしていました。

ある時、妊婦さんが交通外傷で運ばれてきました。

脳外科医がすぐ診察し、頭部や意識レベルの確認、外傷の処置、検査を行なっており、

腹部を気にすることはありませんでした。

その最中、私はお腹の赤ちゃんのことがとても気になりました。

妊婦の交通外傷は腹部の強打で常位胎盤早期剝離も考えられるので、医師に胎児のリスクを伝えました。

腹部を触ると切迫症状がみられたため、すぐに産科医を呼んで処置をしたという経験をしました。

その経験から助産師だから産婦人科だけで勤務するのではなく、

様々な診療科を経験することはとても大事だと学びました。

 

人を大事にしていきたい

 

役職に就いたのはいつ頃ですか。

 

佐藤:去年から当院の看護部長になり、看護部長としても2年目となります。

元々国立病院の看護学校から水戸の附属病院に就職し、

平成16年に看護師長として千葉医療センターに異動となり、7年間勤務しました。

その後、高崎総合医療センターに副看護部長として2年間勤務した後、

同役職で国立国際医療研究センター病院に4年間勤務し、去年当院に看護部長として着任しました。

 

役職に就くにあたり、大事にしてきたことはありますか。

 

佐藤:看護師長時代も、現在も、病棟の風土、雰囲気を大事にしています。

明るくみんなが働きやすい環境が大切だと思いますので、業務も大事ですが、

それ以上に私の感謝の気持ちを伝えるために誕生日カードを贈ることや、

年末にボーナス代わりにお菓子一個プレゼントしたこともありました。

それは私が看護師長の時、当時の看護部長が実践されており、

私自身もとても嬉しいと感じたことがきっかけで始めました。

やはりその人がいてくれることで、病棟が成り立っているので、

人を大事にしていきたいとの思いから行っていました。

 

 

また、自分の看護観や、行ないたい看護を明確にし、常に副看護師長に伝え、

自分の考えや目標を理解してもらうように努めました。

副看護師長と役割を確認したり、スタッフまで行き届くように工夫したりしていました。

看護師長と副看護師長が一丸となることで病棟の統率がとれ、目標も達成できます。

目標の共有・共通理解が大切だと考えています。

 

希望して役職に就かれたのですか。

 

佐藤:国立病院機構のシステムは、昇任試験を受け、副看護師長になり、看護師長になるという段階を踏みます。

当時の看護師長が配置換えとなった際に、急に物品の整理等を始めました。

整理する前に、実際に使用しているスタッフの声を聴いてほしいと意見をしたことがあるのですが、

「じゃああなたが、師長になりなさいよ」と言われました。

病棟内の事を変えるには、看護師長になるしかないと、最初に思った時でした。

そのころから漠然と、自分も挑戦してみたいという気持ちはありましたが、上司からの

「なりなさい」などの後押しや、「あなたならできる」と認めてもらったことで、

「まずやってみようかな」と思いました。

 

 

看護部長になられて苦労したことや、これから行なっていきたいことはありますか。

 

佐藤:副看護部長と看護部長は、当然ですが立場や責任が全く違います。

最初はトップリーダーとしての役割が、私の中で明確になっておらず戸惑っていました。

今年は看護部が活性化するために、看護管理者対象の勉強会などの教育を行なうと共に、

より頑張る人たちを支援するような体制を作りたいと思っています。

私の使命は、やはり中間管理者を育てていくことだと思っています。

 

看護部長間でのコミュニケーションはありますか。

 

佐藤:会議の場でコミュニケーションを取ったり、

わからない時に先輩の看護部長にお電話させていただいたりしております。

いつも優しく快く聞いてくださり、アドバイスをいただけるので、最近は困った時にはすぐに電話しています。

 

後編へ続く

山口 かおり
A-LINE株式会社
帝京大学医療技術学部看護学科卒業 看護師 保健師 港区立神明保育園