No.153 病院長 笠間毅様(昭和大学江東豊洲病院)前編:免疫学を一生の仕事にしたい

No.153 病院長 笠間毅様(昭和大学江東豊洲病院)前編:免疫学を一生の仕事にしたい

  • 2018年6月11日
  • 病院長 インタビュー
No.153 病院長 笠間毅様(昭和大学江東豊洲病院)前編:免疫学を一生の仕事にしたい
No.153 病院長 笠間毅様(昭和大学江東豊洲病院)前編:免疫学を一生の仕事にしたい

昭和大学江東豊洲病院の笠間先生に、

膠原病をご専門にされた経緯や経営に参画された際のお気持ちなどお伺いしました。

 

病弱から医師に憧れ

 

今回は、昭和大学江東豊洲病院、病院長の笠間毅先生にお話を伺います。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

笠間:よろしくお願いします。

 

貴院の特徴を教えていただけますか?

 

笠間:当院は数ある昭和大学の附属病院の中で、急性期医療を担う第4番目の施設です。

江東区の人口急増に対応し4年前に新規開院いたしました。

「女性と子供にやさしい病院」を理念としております。

 

 

中:では、先生ご自身のことをお伺いします。

まず医師になろうと思われた動機について教えてください。

 

笠間:子どもの頃は病弱で、しばしば病院に通っていました。

そのため病院を身近に感じ「将来、病院で働きたい」という感情が子供心に芽生えていました。

 

中:ドクターの姿を見て「すてきな仕事だな」とお感じになられたのでしょうか。

 

笠間:そうですね。

やはり医師は頼りになる存在でした。

ただ、より身近に感じたのは看護師の方でした。

手術を受ける前の不安な時や手術後の苦痛の中で接した看護師の笑顔は、いまだ忘れていません。

 

 

寮生活の絆

 

中:医学生時代の思い出をお聞かせください。

 

笠間:昭和大学の学生は今もそうですが、入学後最初の1年間、富士吉田キャンパスで全寮制教育を受けます。

医学部だけでなく歯学部や薬学部の学生も一緒になって送った1年間の寮生活が、とても良い経験になりました。

今でも同級生の顔はほとんど覚えています。

寮生活のない大学と比べると、同世代の絆はかなり強いのではないかとかと思います

 

中:同じ医療というフィールドを志す仲間とお暮らしになり、互いに支え合い助け合うというご経験は、

現在のチーム医療の取り組みにも生きてくるのではないでしょうか?

 

笠間:はい。

チーム医療の基本は互いの信頼と友情と言えます。

その基本が大学1年生の時、当たり前のように培われたと感じます。

 

膠原病医療のダイナミックな進歩に惹かれ

 

中:膠原病をご専門にされた経緯を教えてください。

 

笠間:卒業後に医師として経験を積み始めた1980年代は、免疫学が非常な勢いで発展していた時代です。

1980年以前には疾患の原因も病態メカニズムもまだほとんどわかっていなかったのが、急速に明らかになってきていました。

まさに免疫学の黎明期で私も大変興奮していました。

その大きな変化に学問として興味を抱き「免疫学を一生の仕事にしたい」と考えました。

 

 

中:疾患の理解がダイナミックに進化するタイミングだったのですね。

リウマチ・膠原病学の醍醐味はどのようなことでしょうか。

 

笠間:頭の先から足の裏まで症状が全身に現れる疾患であるという点です。

そのため内科ジェネラリストとしての能力が強く要求されます。

その能力の上に、免疫や膠原病という専門領域をプラスすることになります。

ですからこの領域の医師は、基本的に全ての内科的疾患を診ることができるという自負があります。

さらに2000年代入ってからは関節リウマチ等に対して生物学的製剤などの画期的な薬剤が登場しました。

かつてリウマチは、病勢進行後に生じる関節破壊の対応に終始していたものが、

現在は早期に介入し治癒さえ目指せるようになっています。

この変化を我々は、パラダイムシフトと呼んでいます。

 

 

中:国民の寿命が今後さらに伸びていく中、健康に生き、生活を豊かにするため、リウマチ・膠原病領域の重要性がより高まりそうですね。

 

笠間:患者さんがADLとQOLを維持し、何年経っても、何十年経っても、

健康な人と同じ生活が送れるようにするのが、我々の役割だと考えています。

 

 

臨床医と院長職のバランス

 

中:今でも診療されているのでしょうか。

 

笠間:外来を週に2〜3回担当しています。

 

中:院長職と並行されていらっしゃるんですね。

 

笠間:両者のバランスをとって続けたほうが、精神的にも良いのではないかと感じています。

 

中:患者さんを診ることが、院長職としての仕事のモチベーションになるということですか。

 

笠間:医者は患者さんを診てこその職業ですから。

また、少しでも現場を離れると、取り残されて専門家とは言えなくなってしまいます。

 

 

中:では、病院長としてのお立場について質問させていただきます。

臨床医から経営者になられますと、それまでとは全く異なるマネジメントも必要になるかと思います。

院長として経営に参画された時のお気持ち、お覚悟をお聞かせください。

 

笠間:当院が開院した4年前に私は副院長として赴任し、立ち上げに関わりました。

それまでは論文ばかり読んでいたのですが、4年前からは患者数や診療点数、決算書類を見る時間が増えました。

今は病院に無駄なものは省き伸ばすところは伸ばすという経営マインドで当たっています。

以前とは180度違う仕事です。

 

後編に続く

Interview Team

中 友美
A-LINE株式会社 代表取締役社長 シンカナース編集長
東洋大学文学部国文学科 明治大学大学院グローバルビジネス研究科 経営管理修士(MBA) 日本大学大学院総合社会情報研究科 総合社会文化博士(Ph.D.) ニュージーランド留学 帝京大学医学部附属病院 東十条病院 三井住友銀行 A-LINE株式会社/代表取締役社長 東京医科歯科大学非常勤講師 同志社女子大学嘱託講師 著書『わたしの仕事シリーズ2 看護師』新水社