No.138 井岡京子様(埼玉医科大学総合医療センター)前編「想いが伝わる看護」

No.138 井岡京子様(埼玉医科大学総合医療センター)前編「想いが伝わる看護」

  • 2018年5月16日
  • インタビュー
No.138 井岡京子様(埼玉医科大学総合医療センター)前編「想いが伝わる看護」
No.138 井岡京子様(埼玉医科大学総合医療センター)前編「想いが伝わる看護」

今回は埼玉医科大学総合医療センターの看護部長、井岡京子様にインタビューをさせて頂きました。

井岡看護部長の手腕と魅力に迫ります。

 

きっかけは身近な出来事

 

看護師になろうと思った理由について、教えてください。

 

井岡:小学校2年生の時、父が仕事中に高いところから落ち、病院に運ばれました。

全身血だらけの会社の方が伝えに来たとき、母が気絶してしまい、私が入院に必要なものを全部準備したそうです。

母が付き添いをしていた3ヶ月間、私が色々なことを仕切り、やったことで、

周りの大人たちが「すごく気が強いので看護師に向いている」と言ったことが、ずっと記憶に残っていたと思います。

そのため、仕事を選ぶ際、無意識に看護の仕事を選んでいました。

 

お母様がそうなってしまうと、かえって自分がちゃんとしなくてはと感じたのでは。

 

井岡:思ったかもしれないです。

 

どのようにして看護学校を決めましたか。

 

井岡:当時は多くの募集の要項がありませんが、自分が育った環境と同じような環境であることから選びました。

 

学生時代の思い出はありますか。

 

井岡: 就職と同時に学校も入学で、いわゆる勤労学生でしたので、半日は仕事、半日学校と、とにかく大変でした。

仕事は患者さんに関わることは全部行い、食事の用意も今のように一人ずつお盆の上に乗って届くのではなく、

栄養部から運ばれてきたものを分けたり、布オムツの時代でしたので、洗濯などもしながら、看護学校に通いました。

 

お仕事をされてから学校に行って勉強をしましたか。

 

井岡:今の埼玉医科大学は毛呂病院といって、看護学校は准看護師学校と高等看護学校がありました。

准看護師学校の時は学校が午前なので、午前中は朝の6時から仕事するために5時に起きて仕事をしてから学校に行っていました。

高等看護学校に進んでからは、朝は9時から学校に行き、16時からは病棟の当直のアルバイトでした。

その時代は学生も部署の一員とみなされていたので、月に25回以上、16時から24時まで病棟でアルバイトをしていました。

 

患者さんに伝わる看護

 

学校を卒業し、就職をした中で大変だったことはありますか。

 

井岡:大変と思ったことはありませんでしたが、毎日必死だったので、エピソードはたくさんあります。

看護師になって5、6年目の時に、患者さんのストレッチャーへの移動で、全身に痛みがあり、

師長や医師が来ても「もう痛い、触るな」と言ったり、叩いたりして、嫌がる方がいましたが、

私が声をかけながら「じゃあ移るよ」と言ったところ、スーッと移動できたことがありました。

患者さんから「こんなに痛くなくて、あんたが今までの中で一番、最高の看護婦だ」と褒められたことがあります。

声のかけ方、普段からのかかわりで、気持ちが和らぐこと、安心させることが、大事だと思います。

 

移さなきゃいけないという気持ちよりも、患者さんを安心させたいというところが、きっと患者さんにも伝わったのではないでしょうか。

 

井岡:すべての仕事において、この仕事をやらなきゃいけないというよりも、

患者さんがいかに納得して安心しているか、このことを若い時からずっと心がけています。

患者さんに伝わったという経験が、看護師を続けている中で、すごく自信になりましたし、

自分の一つひとつの行動に自信がつくことで、何かあった時に、率先して行動できます。

常に患者さんのことしか考えていなかったので、先生と喧嘩することが多々あり、いま自分がこのポジションにいるのが不思議です。

 

最初に内科に配属されて、その後をお聞かせください。

 

井岡:ずっと埼玉医科大学病院で、内分泌・糖尿病内科病棟に17年2カ月、神経内科病棟に5年、整形の後方病棟に10カ月、

その後、治験コーディネーターとして、治験事務局というところに6年いました。

次に、中央手術部に8年、アイセンターという眼科の病棟と外来と手術室が全部一緒のセンターに3年、

そして、ここに昨年異動になりました。

 

後編へ続く

嶋田 香織
A-LINE株式会社
シンカナース編集部及び営業本部長