No.98 矢野尾 ひとみ様(大久保病院)前編:「葛藤して成長した新人時代」

No.98 矢野尾 ひとみ様(大久保病院)前編:「葛藤して成長した新人時代」

  • 2018年1月23日
  • インタビュー
No.98 矢野尾 ひとみ様(大久保病院)前編:「葛藤して成長した新人時代」
No.98 矢野尾 ひとみ様(大久保病院)前編:「葛藤して成長した新人時代」

今回は大久保病院の看護部長、矢野尾ひとみ様にインタビューをさせて頂きました。

看護部長、認定看護管理者としてもご活躍中の矢野尾様の手腕に迫ります。

楽しくてしようがない学生時代

看護師を目指されたきっかけを教えていただけますでしょうか。

 

矢野尾:小さい頃は教員になりたいと思っていましたが、高校生のころに友人に誘われたこともあり方向転換をして、看護学校へ進みました。

私の叔母が看護師でしたので、その頃には漠然とではありますが看護師のイメージはついていたように思います。

でも実際に看護師が現場で行っていることはよくわかっていなかったかもしれません。

 

学校に行かれてみていかがでしたでしょうか。

 

矢野尾:国立病院に附属している全寮制の看護学校に進んだのですが、そのたくさんの人といつも一緒にいるという生活がとても楽しかったです。

中でも一番楽しかったのは実習でした。

学生なのでできる範囲は決まっていますが、それでも何ができるのかを一生懸命考え、実習レポートを書いたりや看護計画を立てたりし、それを実際に現場で行ってみると患者さんの笑顔や「ありがとう」という言葉が返ってきました。

それが本当に嬉しかったですね。

 

印象に残っているエピソードなどございますか。

 

矢野尾:整形病棟実習では、枕ひとつの当て方を工夫するだけで、患者さんが安楽に過ごせるということを実感しました。

たったそれだけのことで心地よさが変わるのです。

それが不思議でとても興味深かったです。

あとは、産科の実習では指導者に「助産科の生徒よりもあなたたちの実習のほうが素晴らしかった」と言って頂けることもありました。

そうしたことの積み重ねだと思いますが、実習はとても充実していて、楽しみながら学ぶことができたと思います。

 

葛藤して成長した新人時代

学校を卒業された後はどちらの病院に就職されたのでしょうか。

 

矢野尾:神戸に行くと言っていた友人に付いて神戸中央市民病院に就職しました。

新人として入った病棟は、泌尿器科と呼吸器内科、胸部外科の混合病棟でした。

 

その頃の患者さんで、印象に残っている方はいらっしゃいますか。

 

矢野尾:受け持ちの方ではありませんでしたが、私が2年目の時に出会った21、22歳の患者さんが印象に残っています。

年齢が同じくらいだったこともあり、自分と比べてしまっていたのかもしれません。

「お熱はどうですか」「食欲はありますか」など、看護師として聞いても問題がない、本当に当たり障りのない話はできるのですが、それ以上踏み込むことができませんでした。

私は健康で働けますし、仕事が終われば遊びに出掛けることもできます。

でもその方は重い疾患をお持ちで入院されているのです。

そうした事を考えると、頭ではわかっていても、とてもご本人の気持ちにも、ご家族の気持ちにも寄り添うことは出来ない、出来ていない、と感じていました。

その方の担当になる度に、「何もして差し上げられなかった」「何か私でもできることがあるのではないか」と考え続けていましたし、師長や主任がその方から引き出せる情報をどのように引き出せばいいのかわからず接していた覚えがあります。

ですが、何故かその方のご家族は私を受け持ちの看護師だと思ってくれていました。

そうした自分の葛藤とご家族からの反応、またそのギャップも一番心に残り、症例発表もさせて頂きました。

 

難しさを感じつつも真心を込めて正面から看護に取り組まれていたのでしょうね。

そちらの混合病棟には何年いらっしゃったのですか。

 

矢野尾:そこでは5年勤務しました。

その頃は今の様にプリセプターという制度はありませんでしたが、5年間の内に学生指導や新人指導を経験させて頂きました。

 

そうした制度が無い場合はご自分で教え方も見つけていかなければいけなかったと思います。

ロールモデルになるような方はいらっしゃったのでしょうか。

 

矢野尾:そうですね、私が新人の時は面倒見のいい先輩が指導してくれていましたし、モデルになる方は沢山いらっしゃいました。

もちろん、場面、タイミング毎にロールモデルは変わります。

例えば、新人の教育に関しては、新人の「できない」部分をうまく受け入れてくれる先輩がいました。

新人なので最初出来ないのは当たり前なのですが、それを受け入れることは現場ではなかなか出来ないことだと思います。

またカンファレンスでは、ファシリテーター役がとても上手で、みんなからの看護プランをうまく引き出してくれる方もいました。

そうした姿にとても憧れていたので、いつもどうしたらその先輩達のようになれるか考えていたと思います。

 

自己研鑽に努め部長へ

その後はどのようなご経験をされたのでしょうか。

 

矢野尾:一時期、市役所の保健課に非常勤看護師として勤めていましたが、県立のがんセンターで現場に復帰しました。

結婚を機にこの近所に越してきて、それからはこちらの大久保病院にお世話になっています。

 

管理者になられたのはいつ頃でしょうか。

 

矢野尾:ここで勤務し出してから7年ほどで師長になり、部長には今から7年前に就任しました。

 

役職がつくことに対する抵抗感は抱きませんでしたか。

 

矢野尾:主任、師長になった時にはそれほど抵抗はありませんでした。

自分のやりたいことが色々あったので、その気持ちのほうが大きかったです。

それでも看護部長になった時には、「私が本当にこれをまとめていけるのか」「やってけるのか」と不安が出てきました。

その違いはどこから生じてきたのか考えますと、やはり役割の差が大きかったのだと思います。

師長は現場のことを主に見ますが、やはり看護部長になると社会の情勢の変化に対して方法を変えて、イノベーションを起こしていかないといけません。

時代に即した看護部、病院の在り方を提示していかないといけないというプレッシャーがあったのだと思います。

 

お仕事をされる上での勉強はどうされていましたか。

 

矢野尾:私自身は主任のときから臨床指導者研修や認定看護管理者のファースト、セカンド、サードレベル研修など、研修会には沢山参加させていただいていました。

 

そうして早いうちから準備をされることが、役割の変化やそれに伴う不安を収める一つの鍵なのですね。

後編に続く

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病院概要

大久保病院

白岩 憲子
A-LINE株式会社 シンカナース副編集長
聖路加国際大学卒業 看護師 保健師 東京武蔵野病院