No.87 池田 宏子様(兵庫あおの病院)前編:教えるはともに希望を語ること、学ぶことは誠実に胸に刻むこと (ルイ・アラゴン)

インタビュー

今回は兵庫あおの病院の池田 宏子看護部長にインタビューさせて頂きました。

現在看護部長として重症心身障がい児(者)の看護に尽力されていらっしゃる池田看護部長の手腕に迫ります。

原点は、何か人の役に立ちたい

何故、看護師を目指されたのでしょうか。

池田:絶対に看護師になりたいという希望はありませんでした。

私はテニス部に所属していたのですが、部活に夢中で進路に興味がなかったのかもしれません。

何か人の役に立ちたいということを担任の先生に相談したところ、看護師を勧められたのがきっかけです。

家族や親戚など、周りに医療関係者がいなかったので、看護師というイメージがあまりわきませんでしたが、もともと人の世話をすることは好きだったので、やってみようと思いました。

看護学生生活はどのようなものでしたか。

池田:地元から離れて都会で生活してみたかったので、寮のある大阪の看護専門学校に入学しました。

初めての集団生活でしたが、先輩方にいろいろなことを教わりながら、楽しく3年間を過ごしました。

終わってみると、忙しい学生生活ですが、楽しい3年間でした。

実習で印象に残っていることはありますか。

池田:小児科実習で、白血病の小児患者さんを受け持たせていただいたのですが、その患者さんは感染のリスクから無菌室での治療をされており、病室から出られませんでした。

私は学生でしたが、ガウンテクニックと消毒をし、無菌室に入らせていただいたのを覚えています。

外に出られない、友達とも遊べない患者さんを喜ばせたくて、実習グループのメンバーと一緒に、段ボールで骨組みを作り、新聞紙で体の肉付け、その上に布をかけて、私の身長より大きなゴジラを作りました。

無菌室のドア越しでも喜んでくれると思ったのですが、患者さんは泣き出してしまいました。学生の私たちは、小児の患者さんが怖がるかもしれない、とは考えていませんでしたね。

小児患者さんのご家族とも関わられたのですか。

池田:何を話したのか詳しい内容は覚えていませんが、お母さんとはたくさんお話させていただきました。

泣いていらっしゃったのを覚えています。

難しい症例でしたし、学生の私たちに何ができたのかはわかりません。

ですが、指導者の方もたくさん関わってくださり、そのおかげもあって、お母さまは学生を受け入れてくださっていたと思います。

止まらない心臓への興味から循環器へ

就職先はどのように選ばれましたか。

池田:看護専門学校を3年で卒業し、国立病院機構の中から大阪で就職先をさがしていて、その一つである国立循環器病センターに就職しました。

循環器の専門病院であるその病院を選んだ理由は、看護学生時代、循環器を教えてくださった先生がとても分かりやすい授業をされる素敵な先生で、その時に、一度も止まらない心臓って不思議だな、と興味を持った為です。

就職されてみて如何でしたか。

池田:1年目に配属されたのは、心臓血管外科の病棟でした。

主に心臓の血管の手術をやっていて、大動脈の手術が多かったと思います。

忙しかったのですが、新人でしたし、他の病棟や病院を知らなかったので、これが当たり前だと思っていました。

そこでは5年勤務したのですが、全国から若いスタッフが集まる病院だったので、5年目くらいになると、自然とリーダーも任されました。

その病院で心に残っている出来事はありますか。

池田:新人の頃は確かにしんどかったのですが、最初のチームがとても良かったですし、素敵な患者さんたちに会いました。

今でも覚えているのが、朝の検温に回っていると、朝日の中に患者さんが立っていらっしゃって、フルネームで私のことを呼んでくれるのです。

「看護師さんおはよう」ではなく、「池田宏子さんおはようございます」と。

その時はとても嬉しかったです。

いろいろな患者さんと出会い、辛いこともたくさん聞きましたし、嬉しいこともありました。

でもその一つ一つが宝物ですね。

5年勤務したあと、異動をされたのですか。

池田:はい、配置換えでCCUに異動しました。

集中治療室への異動は希望していましたが、CCUは主に内科の集中治療なので、外科から異動するのは少し不安でした。

しかし、CCUの先輩・同僚がよく教えてくださったので乗り越えられました。

看護師経験はどのくらいになりますか。

池田:看護師としては32年です。

臨床は心臓血管外科が5年とCCU4年、そのあとは看護学校の教員を経て、師長として臨床に戻り6年働いているので、今年で16年目です。

看護師としての半分は学校で勤務しています。

国立病院機構の中で異動ができるのですね。

池田:国立病院機構は近畿2府5県に5つの附属看護学校と、20の病院を持っています。

この5つの附属看護学校の教員は、厚生労働省が行っている研修に参加するのですが、学校と臨床を行き来できるシステムになっています。

なので私も臨床を経験したあとに、研修を受けて、看護専門学校の教員として勤務しました。

そして師長として臨床に戻り、そのあと再び学校に戻り、と行ったり来たりしています。

いろんな経験ができるのはありがたいですね。

看護専門学校では、循環器を担当されていたのですか。

池田:いいえ、循環器ではなく、基礎看護学や成人、老年看護の概論を教えていました。

循環器を教えてみたかったですけどね。

学生はすごい力を持っている

臨床経験を経て、教員として看護学生を見たとき、何か気付いたことはありますか。

池田:看護学生たちは、すごい力を持っているのですが、いざ実習に行くと、気を使いすぎてしまったり、自分の力を出せなかったりしますね。

それからポーカーフェイスな学生もいます。

そのような学生にはどのように対応されていましたか。

池田:私は普段の様子を知っていて、表情がないわけではないと分かっているので、誤解を受けてしまう学生には、「笑って、笑って、口角をあげて」と言っていました。

学生は緊張しているのだと思います。

逆に、学校祭などで臨床の方を学校に招待して来ていただくと、「学生さん、こんなに元気なのですね」と言われます。

学生たちが一生懸命、実習をしている姿を見てきているので、臨床に出てきても、大事に育てていきたいな、と思います。

やはり教員の経験は今に生かせていますか。

池田:経験があるから違うね、と言われるように頑張りたいなと思います。

しかし、いい教育担当師長がいますので、任せられるところは任せています。

自分が看護をしたい

看護専門学校から臨床に戻るきっかけは何でしたか。

池田:教員の時に、臨床に戻りたいという意思表示をしていました。

何年も臨床から離れると、不安なこともありましたし、学生に教える場合、きちんと「今のこと」を教えていきたいなという思いがありました。

いったん臨床から離れてしまうと、ついていけない、と不安に思い復帰に踏み切れない看護師はいると思います。

私自身もそうでした。

それを乗り越えられたのは、まわりの人たちのおかげです。

良いスタッフに恵まれたと思います。

また、学生のために知っておきたいという好奇心もありました。

臨床に戻り看護師長として学ぶことは多くありましたが、何よりも患者さんの看護を皆で話し、考え、実行していくのが楽しかったです。

私が教員になった時に、指導者からいただいた言葉で、いつも大事にしているのがルイ・アラゴンの『教えるはともに希望を語ること、学ぶことは誠実に胸に刻むこと』という言葉です。

これは看護にも置き換えられると思います。

看護の現場で先輩が後輩に教える時も、どんな看護をしたいか、など希望を語りながら出来たらいいなと思います。

そのためには、まだ知らないことがたくさんあるので、誠実に学ぶ姿勢を心がけています。

看護学生の教員として患者さんと関わられた時、どのように感じましたか。

池田:看護学生と一緒に実習に行って、患者さんと触れ合う機会はあっても、私は看護できません。私は学生を通して、患者さんと関わるという形です。

その時、看護が好き、というか、自分が看護をしたいな、と思うようになり、臨床に戻ることを上司に相談しました。

希望通り臨床に戻り、師長になられた時の心境はいかがでしたか。

池田:師長になった当初はやはり大変でした。

その時、同じ病院に初めて師長になった同期が2人いました。

新任の師長三人で毎日、話をしてましたね。

同期がいるというのは心強かったですし、今でも心強いです。又、先輩看護師長さんにもたくさん助けて頂きました。

師長になられたあと、教育主事もされていたのですね。

池田:現場に戻って師長を務めたあと、1年間東京にある厚生労働省の看護研修研究センターで教育主事の研修を受けさせてもらいました。

そのあと2年間、教育担当師長として病院に戻り、再び教育主事という立場で看護専門学校で勤務しました。

教育主事とはどのようなお仕事をされていたのですか。

池田:学校運営になります。

カリキュラム運営、入試などの計画・実施評価などです。

病院長が学校長を併任していたのでその調整などをしていました。

しかし看護専門学校ですので、教育主事は、学生への授業や実習指導もやっていました。

重症心身障害の看護を知ってほしい

教育主事をされたあと、あおの病院に看護部長として来られたのですね。

池田:そうですね、今年の4月からです。

就任した4月は、まずはこの病院の理念を理解しようと思いました。

重症心身障がい児(者)の病棟は私も経験がなかったので、病棟の様子を見に行ったり、いろんな方とお話をしました。

初めて重症心身障がい児(者)病棟をご覧になって驚いたことはありましたか。

池田:はじめに病棟を回って驚いたのは、人工呼吸器をつけた患者さんが50名以上いらっしゃることでした。

人工呼吸器を装着されている患者さんには吸引をはじめ細やかな看護が必要です。

重症心身障がい児(者)の患者さんの多くは、四肢の拘縮や脊椎の彎曲があるので、3DのCTスキャンで彎曲の程度を見ながら、吸引カテーテルは何センチメートル入れる、など方法を決めていたのです。

自分で痛い、こうしてほしいと訴えることのできない患者さんのために、一人一人方法を変えている、というのは、すごいなと思いました。

みんなが何気なく頑張ってやってるのを見て、本当の重症心身障がい児(者)看護をもっともっとみんなに知ってほしいと思いました。

もちろん安全に、安心して、重症心身障がい児(者)の患者さんたちの看護をしたいので、知識や技術といった教育をしなければなりませんし、より質の向上を追究いきたいと思います。

みんなにもっと知ってほしい、という思いがあるので、インタビューなどのお話いただいた際は、どうぞ「兵庫あおの病院」を見に来てください、と積極的にお受けしています。

重症心身障がい児(者)の施設や病院は全国に数が少ないのですか。

池田:そうですね。

この国立病院機構はセーフティーネットという政策医療で、神経筋難病、重症心身障がい児(者)、精神の犯罪を犯された方などを受け入れています。

難しい症例もあると思いますが、新人の看護師も問題なく働いていらっしゃいますか。

池田:新人看護師は少し辛い部分もあるかもしれません。

実習では会話のできる患者さんばかりだったのが、ここでは痛いとおっしゃれないし、どこがどうという説明もしてくださらない患者さんを看護するのですから。

しかし先輩看護師が、今までやってきた看護を丁寧に教えてくれています。

当院看護部の基本方針の6番目に『お互いの考えを尊重し、ともに育ちあう仲間を大切にします』というのがあります。

だから一人一人、仲間を大切にするという事も、先輩がやってくれているのです。

後編に続く

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