No. 84 植村真美様(公立西知多総合病院)前編:「来るものは拒まず」進んでいく

No. 84 植村真美様(公立西知多総合病院)前編:「来るものは拒まず」進んでいく

  • 2017年12月4日
  • インタビュー
No. 84 植村真美様(公立西知多総合病院)前編:「来るものは拒まず」進んでいく
No. 84 植村真美様(公立西知多総合病院)前編:「来るものは拒まず」進んでいく

今回は公立西知多総合病院の植村 真美副院長にインタビューさせて頂きました。

看護局長としてだけでなく、副院長としても組織をまとめていらっしゃる植村副院長の手腕に迫ります。

 

職業選択に迷ったときに浮かんだ映像

 

看護師になろうと思ったきっかけを教えて頂けますか。

 

植村:私は看護師になるつもりはなく、当時は教師になろうと思っていました。

そのため大学も教育大学を選択し教師を目指していましたが、受験のときに希望の進路へ進めなかったことをきっかけに改めて進路を考えました。

そのときに、父が交通事故で入院したときの映像が頭に浮かびました。

私は外傷が怖くて近づくことができなかったのですが、周りの人に「看護師になるのはどうだろう」と相談をしていく中で、看護師を目指すようになりました。

 

そのときの看護師の姿に影響を受けられたのですか。

 

植村:私は小学生でしたが、バイクでの事故だったため見た目も怖いくらいの外傷や、病室での父の苦痛表情を今も覚えています。

当時は強く意識していた訳ではありませんが、父の傍にいてくださる看護師の姿を写真のように記憶していて、自分が職業の選択に迷ったときにその映像が浮かんでくるのだからどこかに残っていたのだと思います。

 

看護学校はどのように選ばれたのでしょうか。

 

植村:学費が安いこともあり、短期大学を選択しました。

奨学金はありませんでしたが、比較的安い国立の学校まで車で4、50分かけて通学しました。

 

医療の道を目指してから初めての困難

看護学校に入学され、実習などで何か印象に残っているエピソードなどはございますか。

 

植村:実習中のある朝、いつも通りに受け持ち患者さんのところへ行くと患者さんがお部屋にいらっしゃらず、急変で亡くなってしまっていたことがありました。

当時は学生だったため、急変のリスクを予測することは難しく、医療の道を目指してから人が亡くなるということを初めて経験し、すごく衝撃を受け悲しい気持ちになったことを覚えています。

人の命のはかなさを身近に感じ、専門的には捉えることができず、「もっとやれることがあったのではないか」「もっとできることがあったのではないか」という思いに涙だけがポロポロと出て来ました。

 

患者さんを思いやる

 

実習での辛さはどのように乗り越えられたのでしょうか。

 

植村:特に何かをした訳ではありませんが、現場の師長や副師長が「大丈夫ですよ」と声を掛けてくださったことは覚えています。

また、日に日に実習は進んでいきますが、患者さんへの看護が思うように進まなかったときに、実習が嫌だと感じたこともありました。

糖尿病の患者さんへの食事指導で、食事のカロリー計算をして教科書を参考にしながら指導を行いますが、患者さんにはそれぞれの生活スタイルがあるため、受け入れてもらうことができずそのときはすごく辛さを感じました。

学生だったため、患者さんの生活を考えるところまで及ばず、自分の計画通りにやらなければという思いが一番になってしまっていたため糖尿病患者さんへの看護に苦手意識を持ってしまったのだと思います。

 

卒業後の病院はどのように選ばれたのでしょうか。

 

植村:名古屋大学の看護学校だったため、そのまま名古屋大学医学部附属病院に就職しました。

同級生も一緒に入職しましたし、自然な流れで迷うことなく決めましたが、当時は地元に帰る方や進学する方もいて就職率は半数程度だったと思います。

 

先輩の姿を見て自ら学ぶ

 

入職後は何科に配属されたのでしょうか。

 

植村:最初は外科病棟へ配属され、今では考えられないくらい厳しかったと思います。

わからないことがあっても、「なぜ聞くのか」「自分で調べたのか」と先輩から指導を受けるため、まずは自分で調べ先輩の姿を見ながら一生懸命に自ら学んでいきました。

また、当時は今のようなプリセプターはおらず、看護体制も受け持ち制ではなくチームナーシング制でした。

先輩の姿から見て学び、自分もできるようにしていくことが主でした。

そして当時は集中治療室もなかったため、一般病棟の中に術後の回復室があり超重症の患者さんが入室し医師が寝泊まりしていました。

そのため一人の患者さんに医師1名、看護師1名が付くような体制でしたが、他にも50名近い患者さんがいらっしゃるため本当に大変でした。

夜勤は看護師3名で行っていたのですが、新人が多くの患者さんを受け持つことはできないため、先輩が25名ずつ受け持ち、新人は医師もいるため重症の患者さんを受け持っていました。

心臓の手術後の超重症な患者さんもいらっしゃいますし、意識がなく気管挿管をして、モニターのたくさん付いた患者さんを見なければならないため、すごく緊張していました。

 

最近の新人教育はすごく手厚い傾向があると思いますが、どのように感じられますか。

 

植村:手厚さは感じますが、今の小学校からの学校教育や看護学校の教え方など様々あるため、一概に良いのか悪いのかはわかりません。

また、医療も日に日に高度化しているため、学ぶべきこともたくさんあり、単純に比較することはできないと思いますし、その時代に合った教育の仕方をするしかいないと思っています。

 

看護師を選んで良かった

外科病棟では何年間くらい勤務されたのでしょうか。

 

植村:外科病棟での勤務は短く、1年と2カ月でした。

そして脳神経外科病棟でたまたま欠員が出たということで、急遽異動しましたがとても貴重な経験になりました。

当時の先輩は看護に熱い方々が多く、もちろん治療や手術をするのは医師ですが「看護の力を発揮できるのは私たち」ということをいつも言われていました。

また当時は病院の機能分化が進んでいなかったため、急性期病院の中でもある程度ADLが自立するまでのリハビリを行っていました。

昨日までは普通に歩き、動くことができていた患者さんが翌日から急に麻痺があり動くことができなくなる姿をたくさん見てきました。

中には「リハビリなんて絶対に嫌です」と自暴自棄になる患者さんもいらっしゃいましたし、その方々は怠けている訳ではなく自分の中で理解し納得することができていなかったのだと思います。

ある女性の患者さんは今まで家庭での役割を担ってきましたが、麻痺で動くことができなくなることで、母親、女性としての役割を一晩で無くしてしまいました。

そのため、「私なんて居なくていい、居ない方がいい」「自宅に帰っても邪魔になる」という感覚に囚われてしまいました。

そこでお話を伺いながら、例えばペンが取れなかった、スプーンが持てなかったところから一つ一つできるようになる姿を共に喜ぶような関わりをしていきました。

「看護師を選んで良かった」という経験を初めてすることができたのが脳神経外科病棟でした。

 

また、患者さんやご家族について熱心に話し合うため、医師も含めすごく仲の良い雰囲気が病棟にありました。

夏にはみんなで旅行に行ったり、スポーツをしたり、食事会をしたりとコミュニケーションを取ることができていたため楽しかったです。

 

人生に無駄なことはない

その後、どのように管理職の道へ進まれたのでしょうか。

 

植村:脳神経外科病棟も短く、その後は4年目で耳鼻科、5年目でICUへ行きました。

ICUでは7年間勤務し、再び外科病棟、脳神経外科病棟へ戻りました。

その後は師長になり、部署を持たずに教育専従として6年間勤務しました。

そして一般病棟の師長に戻り、循環器内科と消化器内科の病棟の師長を経て看護部管理室に異動し副看護部長になり、平成26年4月、旧知多市民病院へ転勤し、平成27年5月開院のこちらの病院へ移りました。

 

たくさんの異動がある中でネガティブな気持ちになることはありましたか。

 

植村:部署を異動した当初は窮屈感もありますし当時は異動したくないという気持ちもありました。

前の病院では、一枚の異動者の用紙がきて通知され自分の名前を探すような形でした。

そのためみんなで異動の予想をすることもありましたが、予想外の異動でも驚くことはあっても嫌だということはありませんでした。

私は「来るもの拒まず」異動や昇格もいろいろな意味でご縁だと思っています。

そのため、悪く言えば流れに流されているし、良く言えば何でも挑戦できるということになると思いますが、何か理由があって動いたり選ばれたりすると思っているため、あまり嫌という気持ちはありません。

 

慣れてきたところでの異動では、苦労を感じることもございましたか。

 

植村:気の持ち方だと思います。

慣れたところから異動すると、最初は絶対にすごく不自由な感を持ったり、ストレスも感じたりしますが、結局はまたどこかでその環境に慣れてくると思います。

派手な仕事も地味な仕事もあると思いますが、どんな仕事も、今の立場になり振り返るとすごく大切な役割であったことがわかります。

人生に無駄なものはなく、無駄にするかしないかは本人次第であると考えています。

 

後編に続く

 

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病院概要

公立西知多総合病院

白岩 憲子
A-LINE株式会社 シンカナース副編集長
聖路加国際大学卒業 看護師 保健師 東京武蔵野病院