No. 64 眞野惠子様(藤田保健衛生大学病院)前編「人はやりたい事に向かえばそうなれる」

No. 64 眞野惠子様(藤田保健衛生大学病院)前編「人はやりたい事に向かえばそうなれる」

  • 2017年9月29日
  • インタビュー
No. 64 眞野惠子様(藤田保健衛生大学病院)前編「人はやりたい事に向かえばそうなれる」
No. 64 眞野惠子様(藤田保健衛生大学病院)前編「人はやりたい事に向かえばそうなれる」

今回は藤田保健衛生大学病院の眞野惠子副院長にインタビューさせて頂きました。

看護部長として看護部をまとめる、眞野副院長の手腕に迫ります。

 

働く女性になりたい

 

看護師を選ばれたきっかけを教えていただけますか。

 

眞野:私は専業主婦の母の背中を見て育ちました。

女性として何か自分の強みを身に付けた方が良いと感じまして看護師を選びました。

 

将来を考えられた時に、ずっと仕事をしていこうと小さな頃から考えられていたのでしょうか。

 

眞野:そうですね。

両親も「自分が決めたことならばやればいい」と自由にさせてくれました。

それで、私は一生涯を貫く仕事を持ち、働く女性になりたいと思ったので看護職を選びました。

 

看護学校はどのようにして選ばれましたか。

 

眞野:当時看護師になる最短のコースが、高校の衛生看護科に入学して専攻科に進むというものでしたので、その最短コースで看護師になりました。

 

学生時代の思い出に残るエピソードはございますか。

 

眞野:学生時代で印象に残っているのは、外科の実習で受け持たせて頂いた胃がんの患者さんです。

手術は昼1時から夜9時ごろまでかかりました。本来ならば学生の実習は午後5時頃には終わるものですが、「受け持ち患者さんだから居ても良いよ」と、夜9時を過ぎても術後のケアまで見学させて頂きました。

患者さんのご家族とも、病棟のスタッフの方々とも良い関係性を築く事ができて、ここでの印象が良かったので、実習病院であった「藤田保健衛生大学病院の消化器外科に就職しよう」と決めました。

そこが私の看護師としての出発点です。

 

 

学生時代と資格を取った後では、同じ病棟といっても違う部分があると思いますが、如何でしたか。

 

眞野:学生の頃には1人の患者さんのところにだけ居ればよかったのですが、就職すると違います。50床の外科病棟でしたから、回診に加えて術前・術後の看護があります。その回診に付くことが当時の私にとっては大変でした。

なぜなら、医師の介助に必要なものを予め用意しておいて、良いタイミングで医師へ手渡さないといけなかったからです。

最初は本当に「こんなことが自分にできるのかしら」という不安な気持ちから始まりましたが、先輩に「もう大丈夫だね」とお墨付きを頂けた時はとても嬉しく、さらに頑張ろうという気持ちになったのを覚えています。

 

では、新人時代を過ぎて、後輩を育てる立場に立った時に何か考えていらっしゃることはありましたか。

 

眞野:元々学校の先生になることも興味がありましたので、知人からの紹介で母校である高校の実習助手として仕事に就いていました。その後は一旦家庭に入りましたが、再度藤田学園に戻り、今度は看護専門学校の専任教員として15年ほど教鞭をとりました。

その間、学生に接する日々を通して様々な事を学びましたが、「自分の看護師としての最後は臨床で」という気持ちがあったので、教員15年目に臨床に戻って来ました。

 

臨床に戻られてみていかがでしたか。

 

眞野:15年間離れていたので、すぐに対応できるのかという不安はありました。

配属された病棟は特別室の混合病棟で、夜勤のある生活も久しぶりでした。

看護副主任という職位を頂きましたので必死に仕事を覚えて、その甲斐あって、その年の秋にはすぐ看護主任に昇任して頂きました。

主任を6ヶ月間経験した後に肝臓・膵臓外科に異動となり、当院では「看護長」と呼んでいますが、看護師長に昇任となりました。

 

師長から現在の副院長になる間にどのようなことをご経験されましたか。

 

眞野:病院の仕組みは1年で大分わかりました。しかし、病棟をまとめていくのは初めてでしたので、スタッフに助けられてきたと思います。

当院で最初の肝臓移植にも関わることができましたし、移植センターを立ち上げる為に関連する2病棟の看護長たちとチームを組んで他の病院に見学に行き、マニュアル作成の指揮をとったりしました。

その後は、教員の経験を評価されて教育専任看護長、教育科長と経験をいたしまして、数年後には副部長、看護部長となり、今は副院長としての役割も担っています。

 

人はやりたい事に向かえば、そうなれる

 

 

夢だった教育と看護の道を両方達成されていらっしゃるのは素晴らしい事だと思います。

 

眞野:以前、「自分がやりたいことができているよね」と言われたことはあります。

確かに病棟管理者になって自分のやりたい看護を実践できる病棟で管理がしてみたいと思っていましたが、自分がまさか看護部のトップにまでなるとは思いませんでした。

 

新しいことにチャレンジすることを前向きに捉えられるようになるきっかけは何かあったのでしょうか。

 

眞野:私が最初に配属された病棟の看護長や先輩方が格好良くて、「ああなりたい」と思ったことが大きいと思います。

人との出会いは本当に大事で、私に学校の教員を勧めてくださったのも、実は私が新人の時に隣の病棟の実習指導にいらしていた看護学部の教授でした。

退官された今では私共の病院に患者として来てくださっていて、患者目線でのご指摘をいただいています。

 

看護師を纏める上で、一番重要なことは何でしょうか。

 

眞野:看護部の方針を私が直接末端まで届けることはなかなか難しいという現状があります。看護部と現場のスタッフとの間に入るのは看護長です。ですから、看護長の育成が一番大切な役割だと思っています。

 

「DO」では進化は起きない

 

 

現在、取り組まれていらっしゃることはございますか。

 

眞野:今は各病棟の行動表の刷新に取り組んでいます。

紙カルテを使っていた時と同じように毎朝申し送りがあり、申し送りが終わると看護管理者が何かメッセージを発信しています。

でも電子カルテが当たり前になったこの時代、申し送りは必要なのでしょうか。

ある病棟では、全員が集まって8時半から9時過ぎまで申し送りをしていました。

他の病棟ではパートナーシップ・ナーシング・システム(PNS)のペアの内、片方のみ申し送りを受けていて、その間もう一人は環境整備をしていました。

 

毎日同じことの繰り返しほど楽なことはないと思っています。しかし、そこに進化はありません。いつまでも「DO」は駄目だと思います。時代の変化に合わせて柔軟に変えていくことが重要です。教育でも業務でも、必ず前年に行ったことを評価して見直しをするように伝えています。今はそうした取り組みをしています。

 

 

後編へ続く

 

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病院概要

藤田保健衛生大学病院

中 友美
A-LINE株式会社 代表取締役社長 シンカナース編集長
北区医師会看護高等専修学校 東京都立公衆衛生看護専門学校 東洋大学文学部国文学科 明治大学大学院グローバルビジネス研究科 経営管理修士(MBA) 日本大学大学院総合社会情報研究科 博士後期課程在学中 ニュージーランド留学 A-LINE株式会社/代表取締役社長 東京医科歯科大学非常勤講師 著書『わたしの仕事シリーズ2 看護師』新水社