No. 56 坂本 美佳子様 (太田西ノ内病院) 前編 「自分がどういう働き方をしたいかを言って欲しい」

インタビュー

今回は太田西ノ内病院の坂本 美佳子看護部長にインタビューさせて頂きました。

坂本看護部長の手腕に迫ります。

「人が対象であることを、学生時代に教えてもらった」

看護師になろうと思った動機はなんでしょうか。

坂本:私の叔母が、近所のクリニックの看護師長をやっていた事があり、その影響から看護師という職業が身近な物となっていました。

また、母の影響もあります。

母からは「看護師はいいのでは?」と言われ続けてきました。

自分自身も将来しっかりと働くには、資格を持っていた方が良いと思っていました。

あまり考えないで、「私は看護師になる」と高校時代には思っていました。

看護学校はどのようにして選ばれましたか。

坂本:いとこがその病院で、看護師長をやっていて、「そこなら安心できるかな?」と思い、そこの付属を受けて入学しました。

学生時代の驚いた事、楽しかった事といったエピソードはありますか。

坂本:初めて家を出て寮生活になりましたが、非常に楽しかったです。

私は女子高で、寮生活もみんな女だらけだったので毎日が新鮮でした。

1年生の時は先輩と2人部屋で、実習や勉強等をお世話して頂きました。

勉強はあまり得意ではなく、成績も悪かったです。

机に向かうのは苦手でしたが、実習は好きで、グループワークや、皆で1つのテーマを考える事が好きでした。

「なんか実習楽しいな」と思っていました。

しかし、3年生の後半の実習で、20代男性の患者さんに自分が受け入れてもらえない事がありました。

それに対して、「なんでだろう」や、「私は一生懸命やっているのに」という思いが強くなりました。

自分中心に考えて「その方が何を望んでいる」「その人が今どういう状況か」と考えられていなかったからです。

しかし、実習指導者の方から、「あなたは今、どういう患者さんを受け持っているの」、「この人の背景はどう」、「あなたが思う事は、相手はどう思う」といった事を、丁寧に時間を割いて指導して頂いて、何とかして単位を取りました。

家庭背景など、一つ一つ関連図からじっくりと取り組みました。

今でも、その患者さんの名前をフルネームで言えるほど、辛い実習でしたが、それが一番に頭に浮かぶエピソードです。

看護師になる前の学生時代から、患者さんとの思い出を作ったのですね。

坂本:そうですね。対象に対して思う気持ち、対象が何を考えているかを考える事、「人を対象に」みる事は、学生時代の頃から教えてもらい育ててもらったのかもしれません。

いい学生時代の体験をされたという事で、看護師になってからも看護をより楽しみやすくなったのではないかと感じました。

坂本:そうですね。自分で勝手に育っていた感じはしていたのですが、改めて言われると、学生時代に苦労してじっくりと経験できたことがあったのかもしれません。

「看護師一年目は遊びも仕事も必死だった」

看護師になり、最初の病院はどのように選ばれましたか。

坂本:付属の学校で、そのまま入るという認識があったので、悩まないでそのままその病院に入職しました。

同級生と皆で入って、病院に残らない人は進学か自分で違う病院を探していました。

初めの部署は呼吸器内科で、とても忙しい病棟でした。

同期の新人は3人でした。

有資格者としての1年目で、思い出に残る事はありましたか。

坂本:毎日ついていくのがやっとでした。

カンファレンスでも、端に座っていました。

また実習の時に行った事があった病棟だったので、知っている先輩方や師長がいて、入りやすかったですが、とにかく忙しかったイメージしかなかったです。

今ぐらいになると、人間関係で悩む事もありますが、その時の自分は何もかもが必死で、遊びも仕事も必死だったような気がします。

もともと何にでも前向きに打ち込まれるというタイプでしたか。

坂本:そうですね。

前向きに取り組む姿勢は前からだったと思いますし、嫌なものは嫌だと思う現実逃避型でもありますが真っ直ぐかもしれません。

1年目は忙しく、あっという間に過ぎたという感じだったのですね。

2,3年目になるにあたり新人指導をされるなどで気を付けた事はありますか。

坂本:「何でも言って」や「できないのは当たり前だよ」という事は、何回も言っていた気はします。

また自分がプリセプターや指導者になった時に、仕事が終わってから一緒にコーヒーを飲みに行く事や、食事をする事はしていました。

近い位置でサポートをされていたのですね。

坂本:指導者やプリセプターになっても、年代はそんなに変わらないですし、学校時代から知っている子が入る事もありました。

「私もそうだった」や、「私も同じ」といった感覚だったような気がします。

私もそうやって育てられたと思います。

皆で学び、指導されていく形で、新人の方も安心して育っていける環境だったのですね。

坂本:確かにあまり人が辞めない病棟だった気はします。

年代ごとにスタッフがいた病棟で、先生や他の職種とも近く、チーム医療があって恵まれていたと思います。

「自分がどういう働き方をしたいかを言って欲しい」

その経験を経られて管理職になられたのはどういったタイミングでしたか。

坂本:今の病院が2つ目で、当院には管理者になる為の試験があるのですが、そのコースに行くきっかけは、師長さんから「受けてみたら」と勧めていただいきました。

その方は、看護を楽しんでいた方で、院外へも勉強に行っていましたが、「こういう人もいるのか、看護師の中には」と思いました。

その上司に声をかけていただいて、「素敵だな」と思ったのがきっかけです。

「私もなりたい」というより、「私も、もう少し権限があれば、自分のやりたいように出来る」という思いがあった気もします。

師長さんになられて、病棟づくりとはどのように進めていかれましたか。

坂本:当院の目指す看護師像は、自律した看護師です。

人材育成がどれだけ大事かという意味で、自分の所から、次の人材を育てたいという思いもありますが、「この人はこうやって育てよう」という事がそれぞれにあるので、面接を大事にしています。

病院の枠や看護の枠にはめるよりは、それぞれの話を聞いて本人のやりたいことに、すり合わせていくという所があるのですね。

坂本:それぞれの生活があり、環境も違うので、「どうなりたいか」や、「どういう道を目指したいのか」を聞いてから、「この人をどう育てていくか」や、どういう道が良いかという事を考えます。

早いうちから、「私は3年経てば他県の病院に行きます」や、「大学に行きます」という人もはっきりと言ってもらいたいです。

キャリアプランを、事前に計画することを初めに師長さんに伝えるのですね。

坂本:述べられる人をそこでキャッチすると、全然違います。

認定やスペシャリストコースに行きたい子もいます。

それを病棟単位で分かっておく事で、次のアプローチが違ってきます。

希望を聞く事は大事で、それを言える環境にしておく事や、そういう風土をつくる事が大事です。

病棟を一つ任せられた時に、自分がこの病棟をどういう色に染めて、どういうふうに考えるかと言った事は、自分が「こうやりたい」というのを皆に伝え、話し合って作り上げる事はいい事です。

そのほうが自分も楽しく、楽なような気がします。

一人で悩みながら悶々とするよりは、自分の弱みも見せて、相手も「私はこうしたい」と聞くことは大切です。

途中で変わったとしても、すぐに相談ができる帰る場所がある事は素晴らしい事です。

坂本:その通りです。また、キャリアアップして他県に行っても、実家に帰らなければならないこともあります。

働き続けることができる病院として「戻ってきてもいい」という事は当院のいい所です。

実際どういう働き方をしたいのかに応じて働いてもらっていて、週3回の人もいますし、パートの方も約80人おります。

看護職の50%が既婚です。その中には60歳、70歳以上の人も働いています。

そういう意味でも、ぜひ「自分がどういう働き方をしたいか」を言って欲しいです。

「こんな働き方でもいい」という事を、手配していただける形ですか。

坂本:そうです。実際就職活動の時にも売りにしています。

新人にとっても、プリセプター、新人教育担当者、係長、師長がいる体制をとっているので、いつでも相談できるようにしています。

また、教育専従の管理者を配置して、その中には新人担当の管理者を配属しています。

新人には悩みが多く、コミュニケーションが学生時代から苦手な人は現場でも難しく、例えばプリセプターと合わない事などがあります。

悶々と一人で考えるより「悶々と考えてなくていい」事や、「もっと言えば、もっといろんなことが考えられる」という事を提案しています。

「頑張りなさい」や「耐えなさい」は辛くなりますので、ないようにしたいです。

そこで、早めに対策が取れるよう、我慢する時間を短くしようとしています。

心の病の人も少なくはないので、そういう人も、早くキャッチして次の手が早めに打てるようみんなの中でも協力してやっています。

今年から病院全体で新人看護師さんを守ろうという試みで、新人看護師さんのネームにひよこマークをつけています。

病院みんなで新人さんを守っていますよという事をアピールしています。

自分だけで解決できない事も、気軽に相談できる仕組みが揃っているという事ですか。

坂本:そういう事を意識的に作っています。

初めから「SOSを出してください」や、黄色信号になった瞬間に言ってくれればいいですが、それさえ言いにくい事があります。

私たちも話をしたいと思っているのですが、お昼休みでも、下向いて手を動かしてLINEを打っていたりスマホをしているので、コミュニケーションがなくなったりします。

「それは寂しい」という話をしていて、その時間に昔は色々話をしていたんです。私たちは、SOSを早めにキャッチしたいと思っています。

後編へ続く

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