No. 49 本藤 美奈子様 (長野県立信州医療センター) 前編「絶対に助産師になりたい」

No. 49 本藤 美奈子様 (長野県立信州医療センター) 前編「絶対に助産師になりたい」

  • 2017年8月24日
  • インタビュー
No. 49 本藤 美奈子様 (長野県立信州医療センター) 前編「絶対に助産師になりたい」
No. 49 本藤 美奈子様 (長野県立信州医療センター) 前編「絶対に助産師になりたい」

今回は長野県立信州医療センターの本藤美奈子副院長にインタビューさせて頂きました。

看護部長を兼任し看護部をまとめる本藤副院長の手腕に迫ります。

 

 

小さい頃の母の言葉から

 

看護師になろうと思った理由を教えて頂けますか。

 

本藤:高校三年生の進路を決める時には、はっきりと看護師になりたいとイメージしていた訳ではありませんでした。

また、助産師の仕事に関してもよく理解していませんでしたが、私が助産所で生まれたこともあって、小さい頃から道を歩いていると母に「あの方があなたを取り上げてくれた方よ」と聞かされていました。

そのようにお世話になった助産師の方のことを聞いている中で、なんとなく助産師になろうかなと思うようになり、看護学校へ行きました。

 

看護学校はどのように決められましたか。

 

本藤:長野市の出身なのですが、地域で一番大きな長野赤十字病院に看護学校があり、そちらへ進学しました。

自宅から見える程近かったのですが全寮制の学校でした。

当時の長野赤十字病院は、遠くからも患者様の集まるような病院で、卒業後の就職先まで決まっていて安心だったので決めました。

 

 

命の誕生を共に祝う

 

実習で、印象に残るようなエピソードはございましたか。

 

本藤:実習に出始めると患者様との関わりがあり、どの実習でも比較的楽しくできたように思っています。

もともと助産師になりたいと思っていたので、最初のお産を見たときには、すごく衝撃を受け感動しました。

また、私もあのチームの一員になりたいとすぐに思いました。

みんなで協力し、命の誕生に携われることを体感し、「絶対に助産師になりたい」とその時に強く思いました。

 

励まし合い乗り越えた寮生活

 

看護学校で辛かったことはりますか。

 

本藤:全寮制だったので、寮生活に対するストレスはありました。

やはり寮生活に適応できずに、辞めた友人も数名いました。

そのため「ここで頑張れれば、世の中にこれ以上辛いものはない」と言い、同級生と励まし合いながら、卒業することができました。

 

寮生活はどのような生活でしたか。

 

本藤:挨拶の仕方など、先輩後輩の上下関係が厳しかったです。

学校の先生はいつも優しかったように思いますが、先輩と同じ部屋で過ごす中で、家庭でも学校でも教えられないことを寮生活で全部学ぶことができたと思います。

 

看護師としての就職

 

卒業後は、そのまま長野赤十字病院に就職されたのでしょうか。

 

本藤:進学したかったのですが、新しく長野赤十字病院が新築移転をする年で、給費生だったため、全員進学することは許されませんでした。

そのため看護師として就職し、その後に進学を考えることにしました。

 

最初に配属されたのはどこの科でしたか。

 

本藤:希望した産婦人科の病棟に配属され、産科のチームに入ることができましたが、私以外は全員助産師で、私一人だけが看護師でした。

申し送りの時に先輩が何を話しているのか、みんなで笑っているけれど、何がおかしいのか全く理解できませんでした。

そのためせめてみんなが話している言葉の内容を早く理解したい、もっと勉強したいと思うようになりました。

1年後に進学することを目指していたので、新人看護師として学ぶことと同時に助産婦学校の受験準備もして、1年目は自分でも頑張ったと思っています。

 

 

助産婦学校への進学

 

助産婦学校への進学はどのように決められたのですか。

 

本藤:1年目の年度末に退職して進学しました。

もともと長野赤十字病院に来ている先生方が東京大学からの派遣で、先生方からの勧めもあり、東京大学医学部付属助産婦学校に決めました。

 

東京へ行くことに対してご両親からの反対はありませんでしたか。

 

本藤:父はあまり賛成していないようでしたが、母は助産師になることを応援してくれました。昔は今のように、高速道路も通っていなかったため、長野県内を移動することも大変で、進学時は東京に行きたいと考えていました。

その頃は長野県内にある助産師の養成課は2校しかなく、いずれも自宅から遠く離れていました。

また、東京大学とは別に、都内の他の学校も合格しましたが、東京大学で最先端の医療を学びたいと思ったことと、国立は学費が安いので迷わずそちらに進学することを決めました。

 

1年間学ばれた中で、印象的だったことはございますか。

 

本藤:分娩介助の実習は10例行いますが、分娩経過も含め1例1例の記憶が今も鮮明に残っています。

助産婦学校は、1年間で妊娠・分娩・産褥・新生児についての講義と実習があります。また、受け持ちを持ち、妊娠から産後まで継続してかかわることも経験します。研究や分娩準備教育もあり、休みもないほど忙しかったと記憶しています。

しかし自分のやりたかったことなので、とても充実した1年間を過ごすことができました。

 

産婦さんとの結びつき

 

助産師の資格を取られて、また同じ病院に戻られたのですか。

 

本藤:戻る予定でしたが、助産師の採用枠がないので看護師で採用と言われました。

ずいぶん悩みましたが、やはり卒業後は、すぐに助産師をやりたいと思い、都内の三井記念病院に就職しました。

 

助産師として様々なお産に関わる中で印象に残っていることはございますか。

 

本藤:私は700例くらい分娩介助をしています。

無事にいったお産もあり、悲しい結果になったお産もあり、そうやって関わってきた産婦さんは一人一人印象に残っていますし、関係を築けてきたと思っています。

友人からは「すごく辛いことがあると助産師を辞めたくなることがある」と言われ、私もすごく大変なお産や、赤ちゃんが亡くなってしまうような経験もしてきましたが、助産師を辞めたくなったことはありませんでした。

むしろ、そのような経験から産婦さんとの結びつきも強くなってきたように思っています。

 

三井記念病院では助産師としてどれくらいいらっしゃったのですか。

 

本藤:2年間働きました。

しかし、助産師の一番上の先輩でも29歳と若く、2年働いたところで自分がその先、ずっと助産師をやるならば、もう少しベテラン助産師のいる病院で働きたいと考えました。

そこで都内の病院へ転職しようとも思いましたが、長野県が好きだったのでこの機会に戻ろうと思いました。

そこで助産師の募集はしていませんでしたが、看護師として働きながら、空きがあればいつでも助産師になれるとのことだったので、地元長野県の須坂病院(現在の信州医療センター)に戻りました。

1年間は小児センターで看護師として働き、次の年に産婦人科病棟に異動になり、助産師に戻りました。

 

産科病棟での役割と思い

 

産科の病棟の中で、管理職の道を歩まれたのですか。

 

本藤:そうですね、すごく長い間、産婦人科病棟で働きました。

1度、外来に異動になりまして、2年間働きましたが、外来から病棟へ戻るときに副看護師長になりました。

副看護師長にと言われたときは私もそのような年齢なのかと思いあまり考えず、役割を受け入れました。

師長になる時には、急だったこともあり自分の気持ちの準備ができていなかったため、迷いました。病院の事情があることも理解していたので、断る訳にいかないという思いで、師長になりました。

 

産科の師長になられたのですか。

 

本藤:産婦人科と小児科と内科や整形外科の女性の患者様もいらっしゃるので、そのような混合病棟の師長です。

 

師長になられてから、大変だったことはございますか。

 

本藤:やはり病棟ですので、様々な患者様から強いご意見を頂くこともありました。

そのような時には、いつも自分が前面に出て謝罪をすることが本当によくありましたが、役割として仕方のないことだと思っていました。

そして印象に残っているのは、医師が一人になってしまうということで、突然に分娩休止が決まったことです。

そのことが一番大きく、大変ショックな出来事でした。

 

それは師長になられてからの出来事でしょうか。

 

本藤:そうです。

「自分が辞めるわけにはいかない」「まずはここにいるスタッフを守りたい」と思い全員と面談をしました。

幸い1年間の休止後、医師が見つかり再開することができましたが、今後どのように病棟を作っていくのか、新しい医師とどのように産科を作っていくのかと試行錯誤しました。

これらの経験はこの先管理職をやっていく上で役立つ出来事になりました。

 

新しい医師が決まってからは順調でしたか。

 

本藤:その後は、分娩数も増えていき順調に稼働していきましたが、私が部長になってから、医師の体調不良によりまた数ヶ月の間休止になってしまいました。

そのようなことを繰り返している中で、働く助産師を見ているとやはり「何とかしなければ」という思いが常にありました。

 

助産師は何名くらい働いているのでしょうか。

 

本藤:非常勤者を合わせると18名です。

みんな助産師の仕事が好きでこの病院で働いているので、その方々の今後についても考えていかなければならないと思いました。

そこでこの病院では今後も助産師ができるかは分からないので、何度もみんなで話し合いや面接を繰り返しました。

新人助産師以外は全員残ってくれていたので、みんなで再開の時を心待ちにしていました。

 

後編へ続く

 

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病院概要

長野県立信州医療センター

嶋田 香織
A-LINE株式会社
シンカナース編集部及び営業本部長