No. 46 勝間田弥生様(伊豆平和病院 ) 後編:挑戦し続け、飛び込んでいく

No. 46 勝間田弥生様(伊豆平和病院 ) 後編:挑戦し続け、飛び込んでいく

  • 2017年8月23日
  • インタビュー
No. 46 勝間田弥生様(伊豆平和病院 ) 後編:挑戦し続け、飛び込んでいく
No. 46 勝間田弥生様(伊豆平和病院 ) 後編:挑戦し続け、飛び込んでいく

前回に引き続き、伊豆平和病院の勝間田弥生看護部長へのインタビューをお届けいたします。

 

 

師長さんから、さらに看護部長になられるきっかけはございましたか。

 

勝間田:すぐに看護部長になったわけではなく、師長をやる上でこの病院で「欲しているものは何か、大切なことは何か」と考えていました。

どうしたら東部地域の看護が活性化していくのか、と考えたときに、教育だと思いました。

看護師の資格ではどのような教育ができるのか調べてみたところ、「福祉で私の資格が通用する」ということで、まず福祉の教育に入りました。

多くの受講生の方々に、「生きるとは」「死とは」「介護員の仕事とは」を自分の口で伝えていこうと思い、すぐに履歴書を送り介護教室に勤めさせて頂くということから始めました。

 

介護員の講師から看護に戻られるまでには、何かきっかけはございましたか。

 

勝間田:介護教育を始めて5年経った時に、ふと私の本当にやりたかったことは介護教育なのかと頭の中をよぎるようになりました。

ご縁があり、結婚したことを転機に地元の看護学校の教員になりました。

 

 

看護学校の教員は何年ぐらいされたのでしょうか。

 

勝間田:それがですね。

看護教員の免許を取得するために神奈川県立保健福祉大学実践センター教員養成コースに行きまして、全国から教員を目指す仲間や先生たちと出会い、良い刺激を受けました。

これを東部地域に持って帰ったら、患者様や自分の家族、今入院されている患者様たちも良くなるのではないかとすごくやる気に溢れました。

ところが看護教員たちは、大きな病院で育った方が少なく、看護観の摺合せが大変難しく、ともに学生を育てることに悩み、資格を取って1年程度で退職をしました。

 

これ以上できない、というショックはございましたか。

 

勝間田:本当に人生で始めて落ち込むということを体験しました。

学生を育てるのが夢で、自分の後輩たちを育てたらきっと賛同してくれたその学生たちが、私の大事にしている看護を地域で実行してくれるものだと信じて教員になりました。

そのため、なかなか現実を受け入れられないことが多く、本当に朝起きると体が動かなくて、「今日学校に行って、本当に授業ができるのか」「学生たちに教えることができるのか」という不安もあり、人と話すと勝手に涙が出てきてしまうような状態になりました。

 

始めての大きなショックからどのようにして抜け出されたのでしょうか。

 

勝間田:本当にしばらく考えていて、「今まで何をしてきたのか」と考えると、看護と介護の教育ではないかというところに、立ち返ることができました。

病院や教員にこだわる必要はないと思い、新しい場所で学びたかったので、老健の統括をさせて頂くことになりました。

 

そこでは介護職が多く、看護師はあまりいないのでしょうか。

 

勝間田:利用者様が100名の入所で、デイサービスでは最大70名を看護師13名くらいで引き受けていました。

また、認知症と一般の2病棟を、老人保健施設としていました。

ただ、看護と介護だけの統括ではなく、リハビリテーション部や栄養部、医療相談員も管轄だったので、看護と介護だけではない職種の方々も、束ねていかなければいけないという立場でした。

 

 

そちらでは、何年ぐらい勤務されたのでしょうか。

 

勝間田:約2年ぐらいです。

看護教員の勉強をしている時に、実際にグループワークでディスカッションをしながら、理念を成り立て、カリキュラムを決め、自分たちの理想の学校を作るという授業がありました。

機会があれば、本当の学校立上げをしてみたいと以前から思っていました。

もう一度看護教員として、ゼロから始める学校ならば、最初から関わることができ、新しい仲間と理想の学校を立ち上げ、学生を迎え入れることができるのではないかと考えました。

その時に愛知県で看護学校の立ち上げということで、教員を募集していたので「私は看護学校の立ち上げをやりたいので、行きます」と単身で行くことを決め、老健を退職しました。

 

何もない状態から新たに立ち上げる難しさを感じることはありましたか。

 

勝間田:学校で習った通りに、「人間をどう理解していくか」「看護をどう理解していくか」を毎日何時間もかけて話し合いました。

その時に同じ看護資格は持っていますが、やはり教員の資格を持っているのと、いないのとではやってきた過程が違うため、理解を得る、意見を引き出すことがすごく難しかったと思います。

 

やはり現場を知っていることが重要になってきますか。

 

勝間田:そうですね。

今までやってきたことを語ることが苦手な方や、授業もまだやったことのない方など、関係性ができる前にやり取りしていく中ですごく大変さを感じることもありましたが、楽しくもありました。

そのような中で、学校がいよいよ立ち上がる時に「本当に責任をもって看護師を育てていけるチームなのか」と考えるようになり、そこでは、立上げだけをし、継続して働くことを断念しました。

相手の看護観が見えてこないと、何を大切にし、どう学生に伝えていくのか、育成にどう役立てていくのかということが見えないため、残念な結果になってしまいました。

 

 

さまざまな経験をされているのですね。その学校のあとは、どのように進まれたのでしょうか。

 

勝間田:久しぶりに現場に戻ってみようと思っていたところ、役職者を募集しているリハビリ病院が、新百合ヶ丘の近くにありました。

医療安全の資格も持っていたので、面接では「医療安全管理者としても来てもらえますか」ということで、院長にも賛同して頂き勤めることになりました。

また看護補助者の改革ということで、介護教育の経験もあったため、そちらの強化も並行して進めていくことになりました。

介護職員は50名くらいだったと思いますが、教育はバラバラで、どこに焦点を合わせるかが非常に重要になりました。

 

共に働くメンバーとして知識の差を埋め、積み重ねていくことは重要なのですね。

 

勝間田:そうですね。

その方々だけに留めるのではなく、例えば病棟会や朝の申し送りで、「昨日の研修はどうでしたか」と必ず師長が聞いています。

私も朝礼に出た時には聞くようにしていますし、何を学んだと口に出すことで脳にフィードバックされ、また多くの他者に知ってもらえるように心掛けています。

 

看護部長になられるきっかけはございましたか。

 

勝間田:数カ月して、認めて頂き副部長になりましたが、院長から「近くの同じ系列の有料老人ホームの統括をしてもらえないか」という申し出があり、介護は経験済みでしたので辞めるという決断をさせて頂きました。

 

今回も大変早いご決断ですね。

 

勝間田:やはり需要がなければ、いい結果がでたとしても評価にはならないと思いますし、お互いの信頼関係があってこそ、反映していくものだと思っています。

そのため、ご協力することは不可能だと肌身に感じたら、または達成感を感じ形にすることができたら移動する時期なのかもしれないと考えています。

そこで、小田原にある病院から「部長として来てもらえないか」というお話があり、そちらへ移動させて頂きました。

 

そちらで部長をされた時は、何名くらいの統括を行っていたのでしょうか。

 

勝間田:看護部は当時奨学金生の学生を含めて、140名ぐらいの統括をさせて頂いていました。

 

病院のトップなので、思い描く看護部づくりということができましたか?

 

勝間田:そこも非常に難しかったです。

そこの病院自体が、看護部長の不在の時期が、2年くらいあり、各病棟ごとの単独運営をしているような感じでした。

私が今まで経験してきた看護部といった感じではありませんでした。

だからこそ「病棟単位の決定事項で動くのではなく、病院に所属する全ての看護職が同じ方向を向いて、協働していかなければ患者様は24時間守ることができない」と毎朝朝礼に出て、冒頭で私の伝えたいことを常に話していました。

また、時には私もスタッフと共に陰部洗浄やオムツ交換など病棟のケアに参加しながら、現状確認をし、改善点の確認をしました。

 

こちらの病院に来られたのは、いつ頃になりますか?

 

勝間田:ちょうど2年前になります。

1年が経過したところで、なかなか看護部だけの問題でなく組織が指し示す方向性が何度確認してもその都度揺らぎ形にならないことや、見えないことに疑問や不安を抱き、残してきスタッフには、本当に申し訳なかったのですが、1年で退職し同時に「こちらへ来て下さい」とお声がかかったので、現在の病院に移動させて頂きました。

 

こちらの病院の部長になられましたが、魅力をお話し頂けますか。

 

勝間田:職員の柔軟性があるところが一番良いと思います。

新卒ではあまり入ってこないことは残念ですが、中途採用を多く取り入れているため、割と臨機応変に対応できるスタッフが多く、やはり人が素直だと感じています。

 

環境が、すごく穏やかな地域なので、そういうのもあるのかなあと思ったのですが。

 

勝間田:そうですね。

緑に囲まれた環境と、療養ならではの穏やかに1日が流れるといった意味では患者様にも穏やかにお過ごし頂いていると思っていますし、こちらで働く職員たちはこの環境のように、広く穏やかな職員が多いと感じています。

 

現在は本当にやりたい看護部を作ることができていますか?

 

勝間田:私はすぐに部長になったわけではなく、前任の部長の後任として最初は副部長から始まったのですが、去年の1月から部長として立たせて頂きました。

部長として立ってからは、まだ日が経ってないのですが、マネージメントではそこまで大きく変わらないので引き続き自分のやりたい看護部の追求をさせて頂いています。

 

看護部長からのメッセージ

 

最後に「こういう看護部です」というようなメッセージを頂けますでしょうか。

 

勝間田:当病院では潜在看護師、または中途採用の看護師、それから新人看護師も、数多く募集をしております。

何十年も資格を持ちながら働いていなかったという方も、看護協会のご協力を得て、今立派に働いている方たちがたくさんいらっしゃいます。

育児が一通り終わり、復帰したいと言った時には「針が刺せるか」「薬の名前についていけるか」など不安だと思います。

しかし療養ならではの、ゆっくりと時間が流れていくので個々のペースに合わせた指導ができますし、私自身働きやすいと感じています。

 

 

シンカナース編集長インタビュー後記

穏やかで海と山の自然が同時に感じられる伊豆平和病院。

スタッフの皆さんも穏やかで優しい方々が多いとのことです。

勝間田部長は、看護師として様々なキャリアを経験されており、常に自分の役割を責任を持って全うされると、次のチャンスや声かけがあるというパワー溢れるお話をいただきました。

置かれた状況から逃げず、前向きに捉え、一生懸命に取り組まれるからこそ、周囲からの信頼を築き上げることが出来るのだと勝間田部長のお話を聞いていて実感いたしました。

穏やかな環境で、じっくりと看護に取り組みたいという方、勝間田部長の困難な状況から逃げない姿勢を学びたいという方にご勤務いただきたい病院ではないでしょうか。

勝間田部長、この度は多くの気付きをいただけるお話、誠にありがとうございました。

 

伊豆平和病院の関連する記事はコチラから

No. 46 勝間田弥生様(伊豆平和病院 ) 前編:「笑顔をつくる」を心掛け実践していく

勝間田 弥生様(伊豆平和病院) 「いつも笑顔で」

病院紹介

伊豆平和病院

お知らせ

平成30年秋に新棟開設 透析センター新規に設置

中 友美
A-LINE株式会社 代表取締役社長 シンカナース編集長
北区医師会看護高等専修学校 東京都立公衆衛生看護専門学校 東洋大学文学部国文学科 明治大学大学院グローバルビジネス研究科 経営管理修士(MBA) 日本大学大学院総合社会情報研究科 博士後期課程修了 博士(総合社会文化) ニュージーランド留学 A-LINE株式会社/代表取締役社長 東京医科歯科大学非常勤講師 著書『わたしの仕事シリーズ2 看護師』新水社