No. 46 勝間田弥生様(伊豆平和病院 ) 前編:「笑顔をつくる」を心掛け実践していく

No. 46 勝間田弥生様(伊豆平和病院 ) 前編:「笑顔をつくる」を心掛け実践していく

  • 2017年8月22日
  • インタビュー
No. 46 勝間田弥生様(伊豆平和病院 ) 前編:「笑顔をつくる」を心掛け実践していく
No. 46 勝間田弥生様(伊豆平和病院 ) 前編:「笑顔をつくる」を心掛け実践していく

今回は伊豆平和病院の勝間田弥生看護部長にインタビューさせて頂きました。

看護部をまとめる勝間田弥生看護部長の手腕に迫ります。

 

 

誰かを助けられる仕事に就きたいという小さな頃からの夢

 

看護師を選んだきっかけを教えていただけますか。

 

勝間田:幼少期にすごく可愛がって頂いていた叔父が膵臓癌で亡くなりまして、お見舞いに行った時に、日々弱っていく姿を見て「何もできなかった」というのが小さな頃の印象でした。

人が亡くなるということがよく分からなかったのですが、その時に叔父を助けられなかったため「誰かを助けられる仕事に就きたい」とずっと思っていました。

そして小さな頃からの夢を叶えたという感じです。

 

寮生活で経験した壁

 

お辛い体験をプラスに変えていったのですね。看護学校へ入学後に何か壁に当たったことはございましたか。

 

勝間田:私は全寮制だったので先輩方と3年間生活をして、最後には自分が先輩として、後輩と共に生活をしました。

先輩が夜中に勉強をしていたり、朝方の先輩は朝早くに起きていて、やはり生活のすれ違いを感じました。

私たちがテストのない日でも、先輩がテストの日であると物音がして眠れず、寝不足の状態で学校や実習へ行くこともありました。

その時は、精神的に辛さを感じたことは何度かありました。

 

 

 

印象に残っている寮生活での出来事

 

寮生活ですと常に学生同士で過ごす時間も多いと思いますが、すごく思い出に残っている体験はございますか。

 

勝間田:3年生になった時に1年生と交流を図ろうと、同じお部屋の2年生の後輩と相談をして、早朝からマラソンをしようと考えました。

走るのであれば、ダイエット効果が出ないとやる気も出ないので、サウナスーツがあるといいねという話になったのですが、当時はバイトも禁止だったので買うことができず、ビニール袋を使用し手作りのサウナスーツを作成しました。

汗をかきながら楽しく有意義な時間が過ごせたことがすごく印象に残っています。

 

学生時代の先輩に囲まれた就職先

 

看護学校を卒業して初めの病院選びはどのように行ったのでしょうか。

 

勝間田:私は付属の学校だったので、静岡にあります静岡済生会看護専門学校から総合病院に就職しました。

 

実習をしていた病院に就職されたのですか。

 

勝間田:そういうことになります。看護学校が病院に隣接していたので、渡り廊下を渡って実習へ行っていました。

 

病院内の様子や先輩看護師からの指導も分かるので、入職後も安心して勤務ができたのでしょうか。

 

勝間田:そうですね。

学生時代からの先輩や実習指導者の方々もいらっしゃいましたし、実習の時には大先輩の中を歩いていく感じでした。

 

 

 

厳しくも温かい指導の中で乗り越えた新人時代

 

新人1年目の時に、思い出に残るエピソードはございますか。

 

勝間田:外科系の病棟は新人にとって憧れの場所で、すごく人気がありました。

私は希望した集中治療室と一般病棟のある、心臓血管外科に配属になりまして、希望が叶ったのは3人だけだったので羨ましがられました。

しかし集中治療室は、1ミリ単位の命にかかわる薬剤もたくさんあるため、先輩のプリセプターナースに手厳しく指導され大泣きした記憶があります。

 

不慣れなことがたくさんある中で、どのようにして新人時代を乗り越えたのですか。

 

勝間田:やはり厳しくも温かさのある指導で「私のために言ってくれているのだな」と言葉の中から感じられたことです。

私のプリセプターナースは、十何年以上もそこで働くベテランナースだったので、厳しい指導もあり寝ずに勉強することもありましたが、当時の師長や、1つ、2つ上の先輩方が顔なじみで同じ寮生活だったので、いつも背中をたたいてくれました。

また、当時の院長が心臓血管外科だったのですが、私が酒豪ということもあり、食事会や飲み会の席でも可愛がって頂き、患者様との思い出や、「こういうナースになりたい」ということを話す中で、いろいろとアドバイスを頂きました。

 

周りの方々からの温かいサポートを感じることができたのですね。

 

勝間田:そうですね。

私自身、指導する時には愛情をもって「あなたのために」ということが分かるように気を付けています。

先輩方はそのような指導のできる方が多かったと思うので、私もその言葉を出さなくても分かるような指導をしていきたいと思い心掛けています。

 

 

「笑顔をつくる」から生まれた変化

 

2年目になり少しずつ役割が変わっていくと思うのですが、指導する時に注意していたことはございますか。

 

勝間田:私の新人の時のころを振り返ると、泣いている時は、すごく悲しい気持ちになるので、先輩に指導されても、指導内容が吸収できないのではないかと思いました。その経験から、後輩には笑顔で病棟に立って欲しいと感じました。

次の年に後輩が入ってきてからは、周りを巻き込んで、厳しい指導ではなく笑顔の指導にしていこうと思いました。

2年目でしたが、笑顔の指導に変えていきたいということは、常に伝えていたと思います。

 

笑顔が大切だと思われたのは、1年目の時の経験から作られていったのでしょうか。

 

勝間田:はい、そういうこともあります。

また、看護学校で毎週必ず全校の学生が集まってナイチンゲール誓詞を読んでいました。

その時に副校長先生が、「今看護界で起きていること」や「こんなことに気を付けましょう」と話し、最後に必ず「With a smile」と言っていました。

「患者様と私たちみんなが笑顔でいましょう、微笑みなさい」ということをいつも言っていて、患者様を励ますような明るい元気な笑顔でいることを、副校長先生に教えて頂きました。

「いつも笑顔でいなさい」というのがその副校長先生の教えだったので、私もそれに沿って三年間心掛けて育ちました。

それを実行し継続していくことが大切だと常に思っていたので、口に出し周囲に呼びかけていました。

 

実際に「笑顔をつくる」ことを2年目で実践されて、病棟の雰囲気や新人の方々はどのように変化されましたか。

 

勝間田:笑顔の指導は、馴れ合いの指導ではないのですが、先輩たちがすぐに変えることはできなかったと思います。

しかし、日を追うごとに受け入れて頂いて、自分の新人時代より後輩が1年間笑顔でいることが多かったのではないかと感じています。

そして共に笑い、共に泣く時には泣くというように病棟も変化していき、時間外でのお食事会などの交流も増えていったように思います。

 

笑顔を広めていくために実際の行動面で何か行っていたことはありますか。

 

勝間田:私自身、冗談が好きなので、スタッフが暗い顔をしていると冗談を言ったり、肩をたたいたり、患者様がいた場合は巻き込んで一緒に冗談言い笑い合ったり、自分が実践してくことが一番だったのではないかと思います。

「勝間田の言うことだから仕方ない」という感じで、比較的すんなりと受け入れてもらうことができました。

全体の雰囲気が曇りそうになると、「それはダメです」と笑いながら伝え、「そうでした」という感じで返してくださり、我儘な私を育ててくれたように感じています。

 

2年目で病棟の雰囲気を変えるくらいのプラスのエネルギーを持つためには、何かきっかけになったことがあるのでしょうか。

 

勝間田:きっかけは特に分かりませんが、小さな頃から近所のお兄さんやお姉さんが多く、割と年上の方と接していて、小さい頃の我儘な私の言うことも「しょうがないな」と聞いてもらっていました。

その頃から年上の方たちとの関わり合いを「こういうふうにすると、みんなが聞いてくれる」と体で覚えていたのかなと思います。

中学校に上がったり、高等学校に上がったりするタイミングで田舎の学校だったのでクラスが変わり、いろいろな学校が合併していきました。

中心に立つことが嫌だったので、初めから中心の輪にいることはしませんでした。

しかし、特に何も意識をしないでやっていたのですが、知らず知らずのうちに自分が発信する側になり、まとめ役が多くなっていました。

 

 

家族看護の視点から見えたこと、新たな挑戦

 

師長さんになる転機はどのようにやってきたのでしょうか。

 

勝間田:私は、総合病院にずっと務めるつもりでいたのですが、9年目を経過する前に、祖母が80歳で透析を導入しまして、負担が大きく導入後は体調が悪い日々が続き、透析のシャントが閉じたり、転院を繰り返したりしていました。

その間に、だんだんと状態が悪くなり余命半年の告知を受け、自分の身内が初めて亡くなるということに遭遇した時に、「総合病院を辞めるしかない、出世ならいつでもできる」と思いました。次の目標は、「総合病院で役職に立ちたい」だったのですが、一旦仕事を辞め、祖母が亡くなるまでしばらく毎日病院に通い、家族看護をさせて頂きました。

その後、祖母が亡くなり復帰する時に、いろいろな病院で初めて家族の視点から看護職を目にして、私の住んでいる地域は、私が知らない間に、このような環境で看護を受けているのか、と少し腑に落ちない点がありました。

今の私の思いを形にするために、役職にチャレンジしたいと思い、30歳ぐらいの時に個人病院の師長になりました。

 

新たな挑戦で師長さんになられて、病棟づくりについてはどのように思われましたか。

 

勝間田:あまり言いたくはないですが、地域であまり噂の良くない病院はありますよね。

自分の住んでいる地域で、「どこの病院があまり良くないのか」と周囲に聞き込みをして、役職の募集があったので、飛び込みました。

 

敢えて厳しい状況に進まれて、どのように改革をしていったのですか。

 

勝間田:その病院では、機能別看護でしたが、固定チームナーシングのモデル病棟を作りたいという提案に院長先生が「いいですね、やってみましょう」と興味を示してくださり、比較的自由にモデル病棟の中で、知り合った職員の方々とやらせて頂きました。

 

始めは新しい師長さんにスタッフも戸惑うことがあると思いますが、その隔たりを埋めるためにどのような行動をしたのでしょうか。

 

勝間田:年配の方々は「ここは、総合病院ではないから」とよく言葉にしていましたが、若い方々は比較的、「新しい看護ですか?」と興味を示してくれたので、まず仲間づくりというかたちで始めさせてもらいました。

 

今後一つのモデルとして管理職になられる人たちに対しても、強いメッセージになると思います。

 

勝間田:ただ、本当に私が思っているのは、祖母のように亡くなる人たちを減らしたいということです。

個人病院や大きい病院などに捉われず私の考える看護をいろいろな場所で伝え続けることで、両親が年老いたときには、同じ看護を提供してもらえるのではないかと強く感じています。

今まで患者様の死も含めて無駄にしたくないということを、ずっと念頭においているので私を動かすのはそれだけかなと思っています。

 

後編へ続く

 

 

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病院概要

伊豆平和病院

お知らせ

平成30年秋に新棟開設 透析センター新規に設置

 

 

中 友美
A-LINE株式会社 代表取締役社長 シンカナース編集長
北区医師会看護高等専修学校 東京都立公衆衛生看護専門学校 東洋大学文学部国文学科 明治大学大学院グローバルビジネス研究科 経営管理修士(MBA) 日本大学大学院総合社会情報研究科 博士後期課程在学中 ニュージーランド留学 A-LINE株式会社/代表取締役社長 東京医科歯科大学非常勤講師 著書『わたしの仕事シリーズ2 看護師』新水社