No.32 長坂奎英様(キッコーマン総合病院)前編「人の役に立つ仕事がしたい!」

インタビュー

部長が看護師になろうと思われた動機について教えていただけますでしょか?

長坂:私の一つ歳上の姉が、仮死状態で生まれました。

その後、重度な障害だということがわかりましたが、母の考えもあり、私と姉は22歳まで共に生活を続けました。

高校3年になり、部活動を引退するころ、「人の役に立つ仕事がしたい!」と思い、猛勉強して看護学校を受験しました。

看護学校では、思っていたことと違うというギャップを感じたことはありましたか?

長坂:勉強することは元々好きでしたので、入学して半年ほど、一般教養は、とても楽しく過ごしました。

その後、看護学概論など専門科目が始まるようになると、「看護師という仕事はとても責任の重いものなのかもしれない」と感じるようになり、別の道を探そうかなと考えました。

それでも、誰かの役に立つ仕事をしたいと思っていましたし、高校の時に「初志貫徹」を合言葉にして、部活も勉強も取り組んでいましたので、「一度決めたのだから貫徹する!」と決意し、3年間勉強を継続しました。

実習での気付きは、いくつかの領域を積み重ねていくにつれ「自分が計画した通り、自分が思った通りに進まないのは当たり前かもしれない」ということです。

目の前の患者さんはテキストに載っている人ではない。

目の前の患者さんとじっくり話をして、ご家族ともじっくり話をして、話を聞くことだけでもケアかもしれないと途中から自分自身の意識が変わり始め、看護が楽しいと思えるようになりました。

看護学校を卒業されて、最初はどのような部署で勤務されたのでしょうか?

長坂:小児病棟を希望し、希望通り小児病棟で勤務をすることになりました。

小児病棟ですと、整形外科や脳外科に至るすべての科の18歳までの子供を対象にしていましたので、全般的に学べると思い希望しました。

看護師2年目に入った頃から、重症の患者さんを看させていただく機会が増えてきました。

ターミナル期に入っている患者さんのケースですが、ドクターは「死ぬということを念頭に置くのではなく、とにかく最善を尽くすということを大事にしているんだ」と、おっしゃっていました。

小学5年生のターミナルの患者さんに関わった時のことです。

先輩たちからも、「どう見てもあの子はあと数日ぐらいかな」という状況にさしかかっていました。

その患者さんは私に、「お願いがあるんです。僕、たこ焼きが食べたい」と言ったんです。

しかし、その時の主治医は、禁飲食の指示を出していました。

ターミナルの子供がそういう言っているのだから「口腔ケアや、少しだけでも味わわせるのもダメですか?」と主治医に相談してみました。

すると主治医から「何を言ってるんだ。

看護師の分際で」と怒られてしまいました。

さらに「今まで飲んだり食べたりを禁止にしてきたっていうことは、治るということを、僕も信じて治療しているし、彼もそれを信じて闘っているのかもしれない。

ここで、たこ焼きを味わせてしまったら、僕は終わりかもしれなと、彼が思ってしまうかもしれない。

だから許可できない」と言われたんですね。

今考えてみると、ドクターの倫理観とナースの倫理観の葛藤だったのだと思います。

結局、その時はたこ焼きのエッセンスをお家の人に持参してもらい、カーテン越しに少し隠れてガーゼに染み込ませたエッセンスを口にシュシュっとかけて味わってもらいました。

このことは、後に千葉大の大学院で勉強することになるんですけれども、そこで倫理の先生に、その事例分析をした結果「その時には、その時の時代に合った医師の価値の葛藤もあってそれを選んでいたというのが分かった?」と言われ納得しました。

年数を重ねて看護師として冷静に考えていくと、医師の思いも今となったら分かることは増えました。

こうした経験を経て、法律の勉強をするために大学に行きました。

 

法学の勉強をされたんですね。

長坂:やはり入院している子供や患者さんたちに、より良く対応をしたい。

でも、私はあまりにも社会一般常識が足りない。

家族の味方にも、患者さんの味方にもなれていないかもしれないと思いました。

一般常識と法律の知識を身に付ければ、ちょっとは足しになるかなあと思って勉強しに行きました。

法律の勉強ですと、視野の変化、学ぶ仲間も、看護とはまったく違う方々だと思うのですが。

長坂:医療の現場にどっぷり浸かっていた自分を、客観視することができました。

医療の現場にいると、「これは当たり前。

これは常識でしょ?」と考えていたことを、一歩離れて考えることによって、患者さんやご家族の立場というものを、より意識するようになりました。

私は憲法のゼミを取っていたのですが、そこで生命倫理についてのテーマで、ゼミ生みんなでいろいろ勉強をし、ディベートをしました。

そこで、多方向から考えることの大切さを教えてもらいました。

法律を学ばれた後は、看護業務に専念されたのでしょうか?

長坂:当院は企業立病院です。

2004年以降収益が悪化しました。

最近企業が病院を手放すという事態が起こっていて、当院もその危機を迎えておりました。

しかし、医療専門職は、目の前の患者さんに、より良いケアを提供することを考えて常に活動するわけです。

師長以上の職位にならないと、病院の経営に関する数値まで見ることはないかもしれません。

当時労働組合の分会の集まりに参加し、病院の経営に関する数値を初めて目の当たりにして「私たちは、看護ばかり行ってきて知らないことが多かったのではないか?」と思い立ちまして、今度は日本大学大学院グローバルビジネス研究学科に入りました。

MBA(経営学修士)に行かれたんですか?

長坂:はい。夜間と土曜日に通いながら、2年間で取得しました。

それと同時に、地域で専門職がどのように人々のために貢献できるか?と考えた時に、例えば地域で子育てに悩んでいるお母さんたちに、何かケアができないかな?と考え、NPOを立ち上げるという活動もしました。

一番印象に残っている講義は人材育成です。

組織行動、ヒューマンリソースマネージメントですね。

先生から「あなたは、すごく真面目だけど、幼い頃はどんな風に育ってきたの?」と、それまでの人生を紐解いていろいろ聞いてくださいました。

それをクラスメートに語るのですが、先生は「そのタイミングで、それを勉強したというのは、今の人生にとってこういう意味があったのだと思います。

良い時にその勉強しましたね」と、ポジティブなフィードバックを生徒にしてくれる方でした。

それを今、部下と面談する時にも使っています。

今、承認することがとても大事だと言われていますよね。

わざとらしく褒めたら、あまり真実味として捉えてもらえないこともありますが、語ってもらいながら承認していくと、「今看護職をやっていて良かった!」ということに繋がっていくのだと実感しています。

MBA取得後はどうされたのでしょうか?

長坂:高齢の女性患者さん、大腿骨頸部骨折の患者さんを、何人も目の前にしてケアをするようになってから、高齢者ケアというものに、もっと真剣に向き合ってかなければいけないのではないか?と思うようになり、千葉大の大学院に進学して老人看護専門看護師の勉強をしました。

専門看護師の資格もお持ちなんですね。

長坂:学べば何か役に立てるところにつながるのかなと思っています。

老人看護のCNSになるために、実習があり、私より10年前に資格を取っている方のところに実習に行きました。

そこで「頑張り続けることだけが、患者理解につながるわけではない」ということを、身を持って、言葉でも態度でも教えていただきました。

私は、頑張り続けながらここに到達した。

次はこういう目標を持って、もっと頑張れば、もっと良いケアが提供できるようになる。

つまり上を目指していくことばかりやってきたけれども、一度、全てを崩壊させる必要があるということを、担当教授から指導していただきました。

目の前の高齢の患者さんは、いろいろ我慢しながらその場にいらっしゃる。

それを知識や技術で捉えるのではなく、自分の感性のところまでをも、まっさらにした状態で、目の前の高齢患者さんのありのままを捉えられるようにならないと、本当にその人に合ったケアや対応にはつながらないのだと気付いたんです。

とても素敵なお話ですね。

長坂:今は素敵に聞こえるかもしれませんが、その時だけはすごく大変で、涙なしでは語れません。

でも、その時厳しくご指導いただいた先輩も、大学院を修了して9か月後ぐらいには「おめでとう」とメールを下さったり、その後、学術集会で会った時には「頑張ったわね」と言ってくださいました。

後編へ続く

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