No.30 井本寛子様(日本赤十字社医療センター)前編「患者さんにとってのベストを探すのが看護師の役割」

No.30 井本寛子様(日本赤十字社医療センター)前編「患者さんにとってのベストを探すのが看護師の役割」

  • 2017年8月3日
  • インタビュー
No.30 井本寛子様(日本赤十字社医療センター)前編「患者さんにとってのベストを探すのが看護師の役割」
No.30 井本寛子様(日本赤十字社医療センター)前編「患者さんにとってのベストを探すのが看護師の役割」

30回目のインタビューは、日本赤十字社医療センターへお邪魔させて頂きました。

看護副部長を務められている井本寛子様より看護師に対する思いをお伺いしています。

 

生活のすぐそばにいた「医療」と「助産師」

 

看護師になったきっかけから教えていただけますか?

 

井本:元々ピアノをやっていたので音大に行きたかったのですが、なぜかふっと看護の道に入ったというのが正直なところです。

 

とはいえ、小さい頃から医療が身近にある生活をしていましたから、看護師になったのも自然な流れだったのかもしれません。

 

かかりつけの医師が母の実家の近所にあって、そこによく母が手伝いに行っていたので私も母にくっついて出入りをしていたんですね。

 

患者さんの処置をしている場面を見たりしたことがきっかけで、医療の道に刺激をもらうようなところがあったように思います。

 

また、私をとりあげたウスイさんという助産師さんがすごく身近な存在だったこともありますね。

 

小さい頃から病院に行くといつもウスイさんがいて「大きくなったね」と言われたり、母の相談にのったりしていて。

 

中高時代の多くを彼女と一緒に過ごしたこともあって、当時、世間では助産師の知名度が低かったんですけれども 、私の中では「助産師」という仕事の認識が早くからありました。

 

ケアをしてくれる看護師さん・助産師さんたちのあたたかさと、患者側である我々もすごく頼りにしていて、こういう存在がいいんだなと。

 

なんて素敵な仕事なんだろうなと思いましたね。

 

一方で母の影響も結構大きくて、母は小さい時から私に看護師になってほしいと思っていたようで、口では言いませんでしたけれども、ちょっとコントロールされていたのかもしれないと、助産師になってみてから思います(笑)

 

 

全寮制の看護学校で培われた”凛とした看護師”の姿

 

看護学校は自宅から通学されたのですか?

 

井本:赤十字の学校でしたので、当時は全寮制でしたね。

 

寮生活で戸惑ったりしたことはありませんでしたか?

 

井本:かなりありましたね。赤十字看護師教育というのは非常に厳格で、まず朝はナイチンゲール誓詞を唱えることから始まるという生活です。

 

「赤十字看護師として自分の身をたてることができなければ、傷病者の手当はできない」という教育を受けるんですね。

 

それまで高校まで自由に楽しく過ごしていましたから、そんなに急にできないんですけれども・・・。

 

寮に入って2つ上の先輩から洗濯やアイロン、靴磨きを教えられて、なにか花嫁修行に来てるかと思うような印象でしたね。

 

宝塚音楽学校のような生活ですね。

 

井本:そうですね。 足音を立てないとか、廊下の端を歩くとかそういうところも似ていますね。

「患者さんに気がかりな存在になってはいけない」ということで、ナースシューズが汚れていたり、制服にしわがあってはいけないので、ユニフォームはパリッとさせるために自分でアイロンをかけるんです。

 

3年間の寮生活でアイロンの腕は上達しましたよ。

 

そういう生活を通して、本当にしみわたるぐらい「看護師が凛としている」ということを学んだ気がしますね。

 

当時の臨床の看護師の方たちは厳しい方たちが多かったですけど、非常に美しい感じもあって、実習指導者としては手厳しいので怖い存在でしたけど、反面、看護師ってこうあるべきだなという姿が今の私を支えているのかもしれません。

 

長年人事や教育に携わっていますが、当センターで働いている看護師達がきちんとした身なりをしていて欲しいと思いますね。

 

療養生活を送っていらして様々な思いを抱いている患者さんのところに、サポーターの我々が「存在」してはいけないと思うんですね。

 

あくまでも「サポーター」なんです。

 

学生時代のルールや決まりが嫌になってしまった仲間はいませんでしたか?

 

井本:私の学年は「変わり学年」と言われていて、看護学校も助産師学校の同期も従順な人たちではありませんでした。

 

みんな変わり者すぎて、先生たちに立ち向かう系の世代だったんです。

 

なのでリタイアする人はいませんでした。

 

赤十字という非常にかたい組織で、ちょっと固定的な教育を受けたけれども、仲間によって、枠にはまっていてはいけないんだ、とか看護の進化のためには枠から外れるという一部のルールアウトも許してあげないといけないんだということは、学生の頃から学んできました。

 

従うばかりではなくて意見は言う、という育てられ方をしたような気もしますね。

 

先生にはかなり「従いなさい」と言われましたけれども、一方でルールも必要、一方で外れる事も重要と学びました。

 

仲間と一緒に進んでいくチームワークというものも学生の時に形成されたのですね。

 

井本:そうですね。私は兄弟2人なんですけれども核家族でもありませんでしたし、人間関係的に豊かな中で育ったと思っているんですね。

 

私の実家は田舎の大きな家で、いわゆる「本家」というところで、私は本家の長女という立場でそれがすごく嫌で孤独にしていたんですね。

 

いとこが10人以上いるんですけれども一緒に遊ぶこともあまりしない変わった子で。

 

でも看護学校に入ったら仲間を大切にしなきゃと思うようになりましたね。

 

それくらい、看護学校での教育というインパクトはすごく大きかったですね。

 

 

患者さんにとってのベストを探すのが看護師の役割

 

 

その時に看護観みたいなもの、こういった看護をしていきたいという思いも学生時代に考えていたのですか?

 

井本:核みたいなものは学生時代かもしれませんね。

 

約1年間という長い期間受け持った患者さんの人生観を看護学生として聞くことで 、病と闘うジレンマや、この先の不安、生き方について全部教えてもらった気がします 。

 

多様な価値観を受け入れること。

 

その方の生き方をとにかく理解して、医療としてのベストはあるかもしれないけれど、患者さんのベストを探すのは看護師なんだなということをその時確認しました。

 

当センターでは、助産師は非常に自立した働き方をしているんですね。

 

もともと自然分娩と母乳育児を推奨している病院ということもあって、常に「助産師を選んだのはあなたでしょ」という問いが医師や先輩からもあって、1年目からキツイ立場にいました。

 

でもそこでもやっていけたのは、看護学生時代のその人の存在と、その人を通して「看護師は何をするのか」ということを教えてくれた実習指導者の存在かもしれませんね。

 

助産師になってもそういう意味では折れることなく、働くことができました。

 

いろいろな場面にあたりますから、助産師を辞めたいと思ったことは3〜4回あります。

 

赤ちゃんが亡くなってしまったり、お母さんが予期せぬ状況に陥ってしまったりすると、人として自分が十分至らなかったからかなと思ってしまうことがありましたけども、どこかで「辞めてしまったら逃げなんだよな」と思って。

 

この経験をもし自分がお母さんや家族に説明できないようなことがあったとしたら、次のケアで完璧にするのが私の使命なんだよなと思って前向きにとらえて進みました。

 

芯からそう思われるんですね。

 

井本:看護師がより今後の世界で自立して、社会的ステイタスを獲得していかないと、本来患者さん中心のケアってできないと思うんです。

 

今、看護師26年目になりますが、経験を重ねることで見えてきたことなので、そこは私の残された看護師人生で何か役に立ちたいと思いますね。

 

こちらで勤務を始めた時からずっとその思いを持ち続けてこられたのですね。

 

井本:ここに就職したことはすごく大きかったかもしれません。

 

当センターは赤十字色が強くないんですね。

 

具体的にどのような点で「強くない」のでしょうか?

 

井本:あまり「赤十字」という枠にとらわれないでいいというスタンス、何を発言してもいいというスタンス、好きなことをあなたたちがやりなさいというスタンスがあったんです。

 

自由度も高いですし。

 

本当に枠から外れてもいいというのは、さっき仲間と一緒にやってきたからだと言いましたけど、教授される先生から「枠から外れるのは当然よ」「人と同じことをやっていてもダメよ」と教えられたことも大きいですね。

 

タイミングと場所に恵まれたのだと思います。

 

 

看護部長のメッセージをきっかけに看護管理の道へ

 

助産師から看護管理への転換はどのようなことがきっかけとなったのでしょうか?

 

井本:1番は部長との出会いですね。

 

彼女は私より15年上の大先輩ですけど、ずっと看護にこだわっていて、いかに看護師がベストな看護を行うかということを考えているんです。

 

当時、教育委員会で一緒になることがあって、言葉尻のその安易なことさえも許さないくらい「The・看護」にこだわっていました。

 

私は、患者さんから逃げてしまう看護管理者についたことがあって。

 

それは医師が管理者を叱責するからなんですけど、でもそれは役割だから受け止めないといけないんじゃないかなと思っていたんです。

 

そういう師長さんを見ていて、反面教師で「なんなんだろう」と言ったら部長にピシャリと「そんなに偉そうに言うならあなたがなりなさい」と言われて、「そうだよな」と思ったんですそこで。

 

人に言うのは簡単なことだから自分がいかにやってできるかだよなと。

 

助産師は実践家なので、実践から外れたらお産から離れなくてはいけないので、管理者という選択肢はないと思っていましたが、部長のその強いメッセージで管理者になることを決断して、かれこれ17~18年たちますね。

 

後編へ続く

 

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施設概要

日本赤十字社医療センターの概要はコチラから

 

 

中 友美
A-LINE株式会社 代表取締役社長 シンカナース編集長
北区医師会看護高等専修学校 東京都立公衆衛生看護専門学校 東洋大学文学部国文学科 明治大学大学院グローバルビジネス研究科 経営管理修士(MBA) 日本大学大学院総合社会情報研究科 博士後期課程在学中 ニュージーランド留学 A-LINE株式会社/代表取締役社長 東京医科歯科大学非常勤講師 著書『わたしの仕事シリーズ2 看護師』新水社