No.23 荒尾都威子様(相模原赤十字病院)前編「赤十字看護一筋、管理職になる宿命を背負って」

No.23 荒尾都威子様(相模原赤十字病院)前編「赤十字看護一筋、管理職になる宿命を背負って」

  • 2017年7月20日
  • インタビュー
No.23 荒尾都威子様(相模原赤十字病院)前編「赤十字看護一筋、管理職になる宿命を背負って」
No.23 荒尾都威子様(相模原赤十字病院)前編「赤十字看護一筋、管理職になる宿命を背負って」

23回目のインタビューは、相模原赤十字病院の看護部長、荒尾都威子様です。

前編では、看護師を志したきっかけと管理者への道についてお伺いしました。

 

お姉さまの強さからヒントを得て

看護師になられようと思った経緯を教えていただけますか。

 

荒尾:第一に、母が看護師だったことが関係していると思います。

私は九州にある大きな工業都市の出身なのですが、私が五歳の時に他界してからは10歳上の姉が私を育ててくれました。

その姉も実は脊椎カリエスを患っていて。4歳の時に事故に逢い背中を損傷したそうです。私が生まれた時は既に身体障害を抱えた状況でした。

姉はそんな状態でも私を育ててくれた、すごくしっかりした人なのです。

姉は強いので周りにサポートも求めることもでき、障害を障害と思わないでポジティブに生きられる人でしたが、人間そんなに強い人ばかりじゃないですよね。

障害や病気を抱えている人が、少しでも前向きにとらえて克服していけるようなお手伝いができたら、役に立てれば、と思って看護師になるのを選びました。それが一番強い動機ですね。

 

小さい時にお母さまを亡くされてからは、お姉さまとお二人で過ごされてきたのですか。

 

荒尾:いえ、姉が19歳でこちらに出てきてからも、私は田舎で父と義母と暮らしていました。

看護学校への入学を機に実家を離れましたので、こちらでの生活の方が長いです。

 

お姉さまのいらっしゃる地域の看護学校に進学されたのですか。

 

荒尾:そうです。

 

看護学校に入ってみて、それまで抱いていたイメージとギャップがあったとか、反対にイメージと一致したとかいうエピソードはありますか。

 

荒尾:赤十字の学校に通っていましたが、ギャップはほとんどありませんでした。

赤十字の理念や活動内容には入学して初めて触れたようなものでしたが、紛争や災害が起きた時に海外に行って活動するというのは当たり前のこととして抵抗なく受け入れられました。

苦しんでいる人、怪我をしている人が居るならば、誰かがそこに助けに行くという考え方はほぼ自分の中にあるものと一緒でしたから。

友達の中には、「ちょっと違う」、「そんな洗脳はされないぞ」、という人もいましたけどね。

誰かが行かなくてはならないなら、自分がその誰かになることがあったとしても、それはそういう宿命かな、と。

 

 

赤十字看護の教育を受けられて、そのまま赤十字の病院で働くというのはスムーズですね。就職先は学生時代の実習先を選ばれたのですか。

 

荒尾:そうです。横浜市にある、横浜赤十字病院に就職しました。

今は結構大きな病院ですけれど、私が学生だった時は200床くらいの小さな病院だったんです。

職員みなが顔なじみで、みんなで学生や新人を育てるという家庭的な雰囲気がありました。

学校を卒業して就職しても、知っている先輩がどこにでも居るという環境で育ってきています。

 

相模原赤十字病院にいらっしゃったのはいつごろですか。

 

荒尾:今年で8年目になります。

異動で相模原赤十字病院来たのですが、横浜赤十字病院と似ている部分がありますね。

同じくらいの規模ですし、みんな顔見知りで非常に温かいです。

そういう病院なので私もこちらに来たときはほっとしました。

 

赤十字看護一筋、管理職になる宿命を背負って

看護部長になられるまでのキャリアはどのようなものでしたか。

 

荒尾:病院は赤十字だけです。

3年から5年臨床経験を積むと、日本赤十字社の研修所で1年間、「管理」か「教育」の幹部候補生コースに進めるようになっていたので、私は「教育」コースで勉強をしました。

そのあとは看護学校の教員や病棟での勤務を行ったり来たりしながら師長になり、平成8年から16年までの8年間は学校で教務部長を勤めました。

その後また病院に戻って、こちらに副部長として異動してきましたがはじめの4年間は病棟師長と副部長を兼務していました。

その後、前任者の定年退職を機に部長になりました。

 

いつ頃から管理職になろう、と意識し始めましたか。

幹部の教育を受けたことがきっかけでしょうか。

 

荒尾:そうですね。当時はそのコースに進むということは将来教育の道に進むか、管理者になるということを意味していましたから。その宿命を背負って行きましたね。

私は教育コースを選択したので、基本的には、学生を育てることの基礎をきちんとそこで教えていただきました。

 

 

新人の頃に病院で戸惑うことや、このままで大丈夫なのかな、という不安は一切なかったのでしょうか。

 

荒尾:それはよく聞かれますけれどほとんどないですね。

 

そうすると管理職を目指すのもあまり抵抗はありませんでしたか。

 

荒尾:実は3年目で進学の声がかかった時には断ったんです。

その当時は私自身そのまま仕事を続けていけるのか分からなかったですし、田舎に帰る可能性もありました。そうしたら学校に行かせていただいても横浜に恩返しできないですから。

でも5年経った時に、その当時の部長と師長がもう一度声をかけてくださったんです。

郷里の父もそこまで言ってくださるなら勉強してきたほうがいいね、と後押ししてくれて。

それに加えて、その頃には私もまだこっちにいたいという気持ちも出て来ていましたので進学するのを決めました。

でも管理職を目指すというよりも、看護師として働き続けていくのであるならば、何かしらプラスにはなるのだろうな、という程度の認識でした。

 

ずっとキャリアを続けていくなかの一つという感じでしょうか。

 

荒尾:そうですね。

 

最近、管理職を勧められると嫌になってしまうとか、ずっと現場の一スタッフでいたいから、と管理職を避ける方もいらっしゃるという話を聞きます。

管理職になる決心をする方と、そうではない方には何か違いがあるのでしょうか。

現場でもそういった声が聞かれることはありますか。

 

荒尾:そうですね。

なかなか期待して声をかけても、「いやー私はそこまで出来ません」とか「家に仕事を持ち帰ってまではちょっと・・・」という言葉を聞くことが以前よりは増えたように感じます。

もっと自分の時間を大事にしたいということもあるのかもしれませんね。

後編へ続く

 

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病院概要

相模原赤十字病院

中 友美
A-LINE株式会社 代表取締役社長 シンカナース編集長
北区医師会看護高等専修学校 東京都立公衆衛生看護専門学校 東洋大学文学部国文学科 明治大学大学院グローバルビジネス研究科 経営管理修士(MBA) 日本大学大学院総合社会情報研究科 博士後期課程在学中 ニュージーランド留学 A-LINE株式会社/代表取締役社長 東京医科歯科大学非常勤講師 著書『わたしの仕事シリーズ2 看護師』新水社