・No.19 メリック壽子様(ペックシティクリニック様)「ベースの感覚がまるで違いました」2/4

・No.19 メリック壽子様(ペックシティクリニック様)「ベースの感覚がまるで違いました」2/4

  • 2017年5月12日
  • インタビュー 海外看護
・No.19 メリック壽子様(ペックシティクリニック様)「ベースの感覚がまるで違いました」2/4
・No.19 メリック壽子様(ペックシティクリニック様)「ベースの感覚がまるで違いました」2/4

1/4に続き、ペックシティクリニックの看護師、メリック壽子様のインタビューをお届けします。

vol.2では、結婚を機にオーストラリアに移住することになったメリックさんが、現地の看護師免許を取得するまでのこと、日豪で異なる文化の違いについてお話を伺っています。

数々の困難があったであろう看護師免許取得の道のりを、楽しくお話されるメリックさんの強さが伝わってきます。

 

 

オーストラリアで看護師になるまで

 

どのようにしてオーストラリアで看護師免許を取得されたのですか? 

 

壽子:今とは若干違うのですが、当時は必要書類を英語にしてそれを看護協会に提出するという方法でした。

その際、英語力がどのくらいあるのかテストを受けたのですが、担当者がものすごく忙しい人であまり厳しくチェックを受けることなくパスできてしまいました。

これも40年前だからできたことですね。

 

ただし、私が看護学校で勉強した時のカリキュラムを見て手術室の時間が足りないことが判明したので、「3ヶ月間手術室の実習ができる施設を探しなさい」という条件付きでした。

 

自分で実習先を探すんですか? 

 

壽子:そうなんです。

実習に限らず、この国は全部自分でやらないといけないんです。

さてどうしようと思って。

当時住んでいた地域にある大きな病院は、アジア人を受け入れない病院だったんです。

今はそんなことないんですけどね。

オーストラリア人でも裕福な家庭でないとダメだと、問い合わせてみたらわかって。

 

当時の私には人脈もありませんでしたから行き詰まってしま ったのですが、その後主人が会った人の中に、たまたま病院の看護部長がいて話を聞いてくれることになったんです。

事情を話したら「ともかく6ヶ月間看護学校の3年生として編入しなさい。そのうちの3ヶ月間は手術室の実習をするのよ。まずは来週月曜日にいらっしゃい」となって。

家からそんなに遠くなかったので通うようになりました。

 

最初の6ヶ月間は特に大変でしたね。

英語、それもオーストラリア英語でしたし。今は慣れていますけど、何言ってるんだろ?って初めは思いましたね。

 

それ以前は英語の勉強はされていたのですか? 

 

壽子:一応しましたけど、こちらに来てから本格的に始めました。

政府が提供しているプログラムの中で、移住してきた人たち向けの無料の英語クラスがあったんです。

どうしても参加できない人たちはボランティアの人たちが教えてくれるということだったので、自宅に来てもらって教えてもらいました。

それだけでは足りないのでそれ以外にも学校などで教えてもらいましたね。
看護学校に入り直したのは何歳の時でしたか?

 

壽子:26歳の時に3年生に編入しました。

学習内容としてはそんなに難しくなかったんですよ。

英語というのが大変でしたけどね。あとは専門用語。

ただ、看護学校時代専門用語を英語で勉強していたので、割と入りやすかったんです。

単語で書いてあることもわかるものが多かったのでそれがすごくプラスになりましたね。

看護学校での教育が活かされたと思いました。

 

手術室での実習の3ヶ月間はどんな体験をされたのですか?見学がメインだったのでしょうか? 

 

壽子:直接介助もたくさんやりました。おもしろいのは、指導ナースが学生に教えながら手術が進められていくんです。

ドクターも協力的で指導ナースが「今日は学生が初めて介助につきますよ」と言うとドクターたちも「今日はスローで手術が進んでいくんだな」と理解するわけです。

 

日本とオーストラリア、2つの医療現場で感じた文化・教育の違い

 

手術室での勤務経験がここでも活かされましたね。 

 

壽子:そうなんです。器械を知っていたので入りやすかったですね。

英語の理解は大変な上に、マスクしていると聞こえにくいという難題はありましたけどね。

ただ、日本で手術室に勤務していると、ドクターが次に何が必要か教えられるじゃないですか。

手術の手順自体はどの国もそんなに変わらないので、手術の進行を見ながら次に必要な器械を持って待っていると「あんた始めたばっかりだろ?」とドクターたちが驚いていましたね。

簡単な手術なら1人で介助に入っていました。

ドクターたちの中でもすごく手技の速いユダヤ人がいて、その時だと「あなた行きなさい」と言われるほどでしたね。

頭で覚えるよりも身体で覚えていました。

 

日本的な「察する」という部分が術野を見て判断するということが日本の方が優れているんでしょうね。 

 

壽子:それはありますね。だからこちらでは手術時間は長いですよ。

ドクターが「次◯◯が必要だからね」って言うと、そこからナースがセットの中にある器械を探すんです。

なければ取りに行く。日本と比べてのんびり進んでいましたね。

 

逆に新鮮に感じることもあったでしょうね。 

 

壽子:だからリラックスして介助できることは確かです。

日本のようなスピードを求められることはないですね。

もしそんなことがあったら看護師たちは反対して仕事やらないでしょうね。

その辺りははっきり・しっかりしていますよ。学生時代の教育は大切だということですよね。

学生時代のことで、とても印象強く残っていることがあります。

外来で私たちが介助しなければならないような処置をドクターがやろうとしていたのですが、ドクターが命令調で私たちに手伝うように言ったんです。

そしたら「そんな命令するようなドクターには誰も手伝いたくない」と隣にいた学生が言っていて、学生でそんなこと言えちゃうんだと思いましたね。

ベースの感覚がまるで違いましたね。

その後ドクターがちゃんと依頼してきたので介助しました。

処置が終わったあともすごかったんです。

ドクターが使ったものを片付けていなかったのを見た看護師が「これあなたがやったんだから片付けて」と言ったんです。

ビックリしている私に彼女は「あれは当たり前。彼がやった仕事だから後片付けは自分でしないといけないの」と言って、確かにそうだなと思いました。

ナースはドクターの小間使いではありませんからね。

自分たちの仕事をする必要がある。

そこは主張しなければならないと思いましたね。

よりプロフェッションですね。他にもカルチャーショックな部分はいろいろあったんでしょうね。 

 

壽子:名前を呼ぶのもファーストネームなんです。患者さんにもドクターに対しても。それもびっくりしましたね。

患者さんから「Toshiko」って呼ばれて。長い間違和感はありましたね。

 

 

 

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病院概要

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中 友美
A-LINE株式会社 代表取締役社長 シンカナース編集長
北区医師会看護高等専修学校 東京都立公衆衛生看護専門学校 東洋大学文学部国文学科 明治大学大学院グローバルビジネス研究科 経営管理修士(MBA) 日本大学大学院総合社会情報研究科 博士後期課程在学中 ニュージーランド留学 A-LINE株式会社/代表取締役社長 東京医科歯科大学非常勤講師 著書『わたしの仕事シリーズ2 看護師』新水社