インタビュー#15 日髙真紀様(渕野辺総合病院様)vol.2

インタビュー#15 日髙真紀様(渕野辺総合病院様)vol.2

  • 2017年4月22日
  • インタビュー
インタビュー#15 日髙真紀様(渕野辺総合病院様)vol.2
インタビュー#15 日髙真紀様(渕野辺総合病院様)vol.2

vol.1に続き、渕野辺総合病院の日髙真紀看護師長のインタビューをお届けします。

vol.2では、大学病院から転職してからの日々を中心に伺っています。

「大学病院の救命救急センター」から「総合病院の外科病棟」という大きな転換は、日髙さんの看護観も大きく変えることになったようです。

 

転職して感じた救命救急センターとのギャップ

 

その後は別の部署に異動したのですか? 

 

日髙:3年間救命救急センターに勤務したところで、結婚に伴って転居することになり、通いきれなくなってしまうので退職しました。

その後平成9年に当院に就職して、それ以来ずっとここで勤務しています。

 

最初はどこで勤務されたのですか? 

 

日髙:外科病棟に配属され、10年間ずっとそこでの勤務でした。

 

初めての病棟勤務はどうでしたか? 

 

日髙:救命の現場と比べるとクリティカルな部分では楽でしたね。

救命の3年間、患者さんのケアに関する部分を考えてこられなかったわけですが、それはここに来てからもしばらく続きました。

その頃の時代背景もあったのかもしれませんが、効率よく仕事をすることに重きを置いていたところがあったように思います。

手を抜いているわけではなく、一生懸命仕事をしていたけれども、患者さんのことを考えることについては、十分ではなかったかもしれません。

 

私を変えたナースの行動

 

そういう思いが変わったきっかけはどんなことでしたか? 

 

日髙:人の看護を見ていて、私はそこまで親身になって患者さんのことを考えていないことに気づいたんです。

私のプライマリーで、余命があと少しという患者さんを受け持っていました。

年老いたお母さんが東北の実家にいるそうで「母に会いたい」と言っているのをケアのたびに聞いていて。

私はそんな身体状況でお母さんに会いに行くなど実現できるとは思っていませんでした。

ところが、別のナースが実家に帰れる算段をつけたんです。

今なら緩和医療も進んでいますし、珍しくないかもしれませんが、当時はそういったケースを経験したことはありませんでした。

自分が思いもつかなかったことをやってすごいなと思いましたね。

実現できたことで患者さんが泣いて喜んで。

あのまま私が関わっていたら、このままここで終わっていたでしょうから、そのナースの行動をきっかけに「患者さんのために」ということを考え始めました。

 

そのナースの行動力は患者さんの最後の夢を叶えるものになったのですね。 

 

日髙:だからといってすぐに変わったわけではありませんが、時代背景や、その後主任という役職がついてきて看護を客観的にみる機会が増えてきたこともあって、考えられるようになってきましたね。

私は看護に熱い思いや憧れを抱いて看護師になったわけではないんです。

もっと遡ると高校生の時に看護師になろうと決めたのですが、ちょうど母が入院するということがあって。

そこで病院に行って看護師さんと関わる事もありましたが、だからといってそれを見て看護師になりたいと思ったわけではありませんでした。

 

そこから看護師になることを選択した理由は? 

 

日髙:母親の身体がどうなっているのか、今後どうなっていくのか分からなかったんです。

自分が全然理解できなかったから、もし家族が同じようなことになった時にまた何もわからないのはいやだな、何かちょっと勉強したいなということが動機でした。

ちょうどそれが進路を決めるタイミングだったこともあって。

自分のためでもあり、家族のためにもなると思って看護師になりました。

 

そういう動機がきっかけだったんですね。 

 

日髙:そうなんです。

私はそんなに高い目標を掲げているわけではありませんが、やり始めれば粘り強くそれをとことんやりたくなるという性格なので、きっかけは些細だけれど、もっとより良く・もっとできるようになりたい、という思いがあるから続けてこられたのだと思います。

 

自然な流れで管理職に 

 

師長や主任という管理の道の選択は、今のお話からするとご自身で選択したわけではなさそうですね。 

 

日髙:お話をいただいたからですね。

それなりに勤務年数がたっていましたし、組織の人間として断る理由がないなと、受け入れなければなと。

 

管理職になってからはどんな苦労がありましたが? 

 

日髙:外科病棟で主任になり、その後師長代行になったのですが、この3年間は精神的にすごくきつかったですね。

自分の中で手探りで、前の師長がやっていたことを何となく頭に思い描きながら、見よう見まねでやっていました。

でも、部署がうまくいかないのは自分のせいだと、自分の中で「自分が悪いからだ。じゃあ自分はどうすればいい」と考えていて、ずっと息が抜けなかったですね。

家に帰ってもどうすればいいかずっと考えていました。

気持ち的にも家に持ち帰っていて、病棟の体制を変えようと思えば考えるのも病院だけでは終わらなくて、家に帰っても家事もやらずにずっと考えていることもありましたね。

子どもたちから「ママ何やってるの?」と言われながら、家で仕事をしていたこともありました。

365日ずっとではありませんが、何かが起こるとある程度目処がつくまでは考え続ける期間はありますね。

時々「あー苦しいなぁ」という気持ちにもなりますが、やめようとまで思わないんですよね。

その時は集中して辛いんだけど、しばらくすると少し楽になる時がきて。

 

ずっと苦しいのが続くわけじゃないから頑張れるということですね。 

 

日髙:そうなんだと思います。

ある時ちょっと楽になったり、家族と出掛けたり、そういうことができれば回復しますね。

一番きついのは家族からのダメ出しですね。

仕事がどんなにきつくても家族がわかってくれれば大丈夫ですが、逆に家族にダメ出しされたりすると落ち込んでしまったり。

家族の存在や支えというのも非常に大きいと思います。

 

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病院概要

渕野辺総合病院の概要はコチラから

高山 真由子
シンカナース副編集長
慶應義塾看護短期大学  東海大学健康科学部看護学科 看護学士  早稲田大学大学院政治学研究科 ジャーナリズム修士  ニューヨーク留学  慶應義塾大学看護医療学部 慢性看護学実習指導  東海大学健康科学部看護学科 在宅看護学実習指導  東京都御蔵島村 保健師  シンカナース副編集長