3.11 あの日、東京にて、(後編)

3.11 あの日、東京にて、(後編)

  • 2017年3月11日
  • コラム
3.11 あの日、東京にて、(後編)
3.11 あの日、東京にて、(後編)

訪問看護先に到着

最上階にたどり着き、改めて周囲を眺めると、東京の街全体が妙な静けさで包まれていた。

何かしっくりこないが、ハッキリとは「何か?」がわからない。

階段でも誰ともすれ違わず、最上階の他の部屋の人たちが玄関先に出てきているということもなかったので、一瞬このマンションに住人が居ることを忘れてしまうくらいだった。

ようやく訪問先に辿り着き、扉を開けると、目の前に広がる光景に愕然とした。

廊下に物が散乱し、各部屋から飛び出してきたと思われる家具やおもちゃがそこかしこに散らばっていた。

「入りますよー!大丈夫ですかー!」と声をかけると、か細くではあったが、ベビーのお母様が奥のリビングから顔を覗かせてくれた。

訪問看護師として

モノが散乱している廊下の隙間を探しながら前に進み、奥のリビングまで辿りつくと、元気そうなベビーの姿があり、まずはホッと胸をなでおろした。

ベビーのバイタルや外傷などの状態を確認した。

地震発生時、お母様がとっさにベビーを抱っこし、周囲の家具の盾になってベビーを守ってくれたとのことで、ベビーはどこにも外傷もなく無事であった。

呼吸も落ち着いていた。

器械もきちんと作動していたので、吸引も直ぐに出来る状態だった。

停電はしていなかったこと、またマンション自体の発電システムがあるということで、電気に関して、緊急に対応する必要はなさそうだ。

次にお母様の状況を確認した。

いつも明るく優しい方なのだが、この時ばかりは緊張がまだ治っておらず、表情も硬く呆然とされているように見えた。地震発生時、高層マンションの最上階の揺れは想像を絶するようで、大型テレビも棚から落ち、床に倒れ、部屋中の棚に入っていたものが飛び出してきてしまったというほど、家中モノで溢れかえっていた。

そこで、まずはお母様の緊張をほぐす意味も込めて「テレビを復旧させましょう!」と提案した。

お母様は「え?凄く大きいし、重くて無理です」と力なさげに返答されたが、「大丈夫!」そちらだけ抑えてください!と二人で協力して持ち上げた。すると少しお母様の表情に笑顔が戻り「本当に持ち上げるなんて」と驚きながらも、力が戻ってきている様子だった。

テレビをつけて最初に目にしたのが「津波」の光景だった。正直、何が起こっているのか全く理解出来ず、これが全て先ほどの地震と繋がっているのだと一致するまで多少の時間が必要だった。

「これは日本が大変なことになっている」

ハッキリと確信し、少し力の戻ってきたお母様とテレビを見ながら散乱するモノを片付けた。

何かをしながらでないと、この状況を受け入れることが出来ない気がしつつも、これ以上、お母様を不安にさせてはいけないと思い、極力明るく話しかけながら、リビングや、ベビーのベッド周辺が座れる程度にまではなった。

万が一、停電や電源問題が起こったら病院に行く必要がある旨を伝え、帰ることにしたが、既に到着してから3時間以上経過していた。

人混み、大渋滞

外に出ると周囲は真っ暗で、この夜はとても寒かった。

看護助手面接で病院に居たこともあり、ハイヒールだったこともこの時に気がついた。

「タクシーで早くオフィスに帰ろう!」

そう思って通りに出たのだが、タクシーどころか、道路が車で溢れかえって、大渋滞をしている。

タイミングよく目の前で扉が開いたので、人で溢れかえるバスに乗り込んだ。

通常であれば、ここまですしずめで人を乗せないのだろうが、この日はバスの運転手さんも一人でも多くの乗客を乗せて行こうという気概が感じられ、

「もう少し、もう一歩詰めてください」

と乗客に声をかけながら勢い運転席まで足を踏み入れそうになる位まで乗客を乗せてくれていた。

次の問題がやってきた。

バスに乗れたのは良いが、大渋滞でバスが殆ど動かない。

通常、10分程度で駅に到着する距離が結局、1時間以上かかってしまった。

ようやく駅に到着してわかったのは、電車が動いていないということ。

その駅からオフィス方面へのバスもない。

タクシーも全く見当たらない。

歩くしかない

駅周辺はまだネオンもあり、オープンしているお店もあったので、気持ちは少しホッとしたが、道路は車で大渋滞で、歩行者専用通路には多くの人で溢れていたので、異常な空気感は継続していた。

こうなったら歩くしかないか。。。

覚悟を決めた途端、そう言えばトイレも半日以上行ってないなと気付き、駅周辺にあった閉店間際の紳士服店で声をかけお願いしてみた。

「どうぞ使ってください」

こういう時の笑顔と優しさは身に沁みる。

ありがたくトイレをお借りし、ストッキングで足元が寒かったため、男性用ではあったが靴下とマフラーを購入し、オフィス方面だと思われる方向に向けて歩き始めた。

歩いていく方向は、多くの人が歩いて帰宅する方向と真逆であったため、極力、道路の端の方をすり抜けるようにして歩いた。

ハイヒールに男性用靴下を履いたため、靴の中がパンパンで足がとても痛い。

それでも寒いよりはマシだ。

途中のコンビニで肉まんを買って、食べながらまた歩き始めた。

方向が本当にあっているのか?遠回りになっていないか?大きな道路の看板を眺めながらとにかく歩き進めた。

携帯メールに姉から心配しているという内容のメールが来た。返信したくても、返信メールは送るのに時間がかかる。

オフィスで勤務してるであろうメンバーに電話をしても、電話は通じない。

不安はより高まったが、とにかく帰るしかない。

人混みを逆走しながら、それぞれの表情を見ると、寒さと不安からか顔はこわばり、スーツ姿にヘルメットをかぶっている人たちも多くなっていた。

ここまで来れば大丈夫

2-3時間ほど歩き続け、ようやく知っている道まで辿り着いた。

人も殆ど歩いていないエリアまで辿りつき、ここまで来れば、もう無事に戻ることが出来る!そんなことを思った瞬間、足に激痛がはしった。

ホッとした瞬間、冷えと疲労などから足の筋肉が痙攣を起こしたようで、突然の激痛とともに前に足を踏み出すことが出来なくなった。

「せっかくここまで来たのに帰れない」

ハイヒールと靴下を脱ぐと、足裏の皮が剥け出血している。加えて痙攣が止まらず、ガードレールを支えにして、必死に足をさすって温めた。暫くすると、痙攣は収まるのだが、歩き始めるとまた痙攣してしまう。

「あと少し、もう少しだから頑張って」

と自分の足をなだめ、さすりながら、目の前にオフィス!という状況がありながら足の痙攣と格闘し、そこから30分以上かけてようやく電気のついているオフィスに戻ることが出来た。

思えば、足を痛めたのは、急ぐあまり、休憩も殆ど取らずに無理をした結果なのだと反省した。

ホッとする

オフィスは暖房が効いていてとても暖かかった。幸いにもオフィスは低層階だったこともあってか、家具が倒れるということもほぼなく、笑顔のスタッフに癒され

「ようやく帰ってきたんだ」とホッとした。

暫くすると他のメンバーも戻ってきて、全員の無事を確認することが出来た。

自然災害の恐怖、訪問看護師の役割、緊急事の会社運営、自己の体調管理など様々なことをこの1日で学んだ。

3.11 あの日、東京にて、(前編)

中 友美
A-LINE株式会社 代表取締役社長 シンカナース編集長
北区医師会看護高等専修学校 東京都立公衆衛生看護専門学校 東洋大学文学部国文学科 明治大学大学院グローバルビジネス研究科 経営管理修士(MBA) 日本大学大学院総合社会情報研究科 博士後期課程在学中 ニュージーランド留学 A-LINE株式会社/代表取締役社長 東京医科歯科大学非常勤講師 著書『わたしの仕事シリーズ2 看護師』新水社